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桜田門外ノ変 上・下

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桜田門外ノ変 上桜田門外ノ変 上・下

(さくらだもんがいのへん・じょう・げ)

吉村昭

(よしむらあきら)
[幕末]
★★★★☆☆

桜田門外の変について、詳しく知りたくなり、決定版ともいうべき本書を入手。遅ればせながら、吉村昭さんの『桜田門外ノ変〈上〉』を入手し読み始める。時代小説サイトの看板を掲げながらも、真面目な歴史ものが苦手で敬遠していたが、そろそろ幕末の水戸藩と向き合ってもいいかなと思い始めたところだ。
水戸藩というと、光圀以来、尊皇の考え方が根強く浸透し、幕末においても御三家でありながら、尊皇攘夷の急先鋒であったという特異な位置にある藩という認識があった。また、尊皇攘夷をリードした雄藩であり、桜田門外の変など、倒幕の功績が大ながら、明治維新時に華々しい位置から遠ざけられた、ある意味でとても不幸な藩である。江戸好きのために心情的に佐幕派寄りなせいか、大老井伊直弼に対しても不当に貶められているのではと思っていた。まったく逆の立場、井伊によって絶えず圧力をかけられる立場の、水戸藩からの視点で描かれた本書を読んで、その見方が大きく変わった。物語は史実に沿って展開される。江戸城桜田門外の襲撃現場の指揮をとった、水戸藩脱藩の関鉄之介を主人公に、事件の全貌が丹念に描かれていき、読みごたえがある。

昔のアントニオ猪木のプロレスのように、相手の攻撃を受けるだけ受けて、最後に逆襲して倒すといった図式があり、そこにはカタルシスがあった。

物語●安政四年正月二日、水戸城下ではいような空気につつまれていた。失踪していた水戸藩元奥右筆頭取の谷田部藤七郎とその実弟の大嶺荘蔵が東海道筋で捕らわれ、水戸城下に護送されてきた。

徳川斉昭は、文政十二年(1829)十月、水戸藩主になったが、その頃、藩の要職は、家格の高い門閥派と称される家臣によって独占されていた。硬直化した藩政の大改革を悲願としていた斉昭は、藩主就任と同時にそれを実行に移そうととしたが、門閥派はこぞって強い反発をしめした。門閥派の中心人物は結城朝道で、かれの手足となって動いていたのが矢田部藤七郎だった。

斉昭の藩政改革は、藤田東湖とその教えをうけた門下生たちの強力な支持をうけ、これらは改革派と称された。駕籠を見送る人の中に、改革派の一人で、水戸藩北郡務方に勤める関鉄之介の姿もあった…。

目次■なし

カバー装画:佐多芳郎
解説:野口武彦

時代:安政四年(1857)正月二日
場所:水戸城下、大子村、袋田村、小石川水戸藩邸、水原村、田家村、千住宿、葛西新宿、千住小塚原、梅若塚、三筋町、福井城下、今宿、鳥取城下、萩ほか

(新潮文庫・上514円・95/04/01第1刷・04/03/10第5刷・322P、下514円・95/04/01第1刷・04/03/10第4刷・322P)
購入日:05/07/05
読破日:05/07/19

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