(とくがわしょうぐんけじゅうごだいのかるて)
(しのだたつあき)
[江戸入門]
★★★★☆☆
♪医術をモチーフとした時代小説で知られる篠田達明さんの『徳川将軍家十五代のカルテ』を入手する。
胃がん、胃がん、脳卒中、未詳、はしか、インフルエンザ、急性肺炎、脳卒中、尿路障害、脚気衝心、急性腹症、暑気当たり、脚気衝心、脚気衝心、急性肺炎。帯に初代家康から十五代慶喜までの死因が記されていて、つい興味を引いてしまう。もっとも多い死因が「脚気衝心(かっけしょうしん)」だという。脚気で死にいたるのかと、気になり本文の該当ページを繰る。現在は、脚気はビタミンB1の欠乏によって起こることが知られている。ビタミンB1は米ぬかや玄米などに含まれていたが、十代将軍家治の頃には、江戸城台所では、ぬかを落とした味のよい精白米を常食とするようになっていた。脚気は、ビタミンB1の消耗が著しい夏場に発症することが多いという。
公家の世界を知り、江戸の女性たちのことも心得た春日局は、将軍家の血統を維持するために、将軍の正室には出自の確かな公家や宮家の娘、側室には健康な庶民の娘、という大奥の二本立て方式を整えたという。
徳川の夫人たちが子女を生んでも、江戸時代の市中の衛生状態は劣悪で、乳幼児の早世が多発した。筆者は、その原因の一つとして、白粉による鉛毒を指摘している。将軍家をはじめ、大名や公家などの上流階級の乳母たちは、鉛を含んだ白粉を使い、顔から首筋、胸から背中にかけて広く厚く塗った。抱かれた乳幼児は乳房を通して鉛入りの白粉をなめる。鉛は体内に徐々に吸収され、貧血や歯ぐきの変色、便秘、筋肉の麻痺、脳膜の刺激症状など、鉛中毒が起こる。
それが原因とは言い切れないが、九代家重や十三代家定のように、重度の脳性障害が出ている。筆者も書いているが、重度の障害者でありながら、差別なく受け入れ、将軍位につけた事実は特筆すべきことである。
読みどころ●『徳川将軍家十五代のカルテ』を読了。十五人の将軍の死因を中心に綴られたユニークな徳川将軍史でもある。著者の篠田達明さんは、整形外科医にして作家、現在は愛知県心身障害者コロニー・こばと学園園長を務める。
将軍にとって、もっとも大事なつとめは政務でも軍務儀式でもなく、ひたすら子作りに励むこと。将軍たちの設けた子どもの数と寿命の長さは彼らの健康のバロメーターであったこと。初代家康、十一代家斉、十五代慶喜など長命で、とくに家斉は十六人の側室を抱え、五十七人の子どもをつくり、将軍家のもっとも大切な役割をまっとうしたといえる。
目次■プロローグ――歴代将軍の身長計測|家康―初代将軍(一五四二~一六一六)死因・胃がん/秀忠―二代将軍(一五七九~一六三二)死因・胃がん/結城秀康―家康の次男(一五七四~一六〇七)死因・梅毒/松平忠輝―家康の六男(一五九二~一六八三)死因・老衰/家光―三代将軍(一六〇四~一六五一)死因・脳卒中(高血圧)/水戸光圀―天下の副将軍(一六二八~一七〇〇)死因・食道がん/家綱―四代将軍(一六四一~一六八〇)死因・未詳/綱吉―五代将軍(一六四六~一七〇九)死因・はしかによる窒息/家宣―六代将軍(一六六二~一七一二)死因・インフルエンザ/家継―七代将軍(一七〇九~一七一六)死因・急性肺炎/吉宗―八代将軍(一六八四~一七五一)死因・再発性脳卒中/家重―九代将軍(一七一一~一七六一)死因・尿路障害(脳性麻痺)/家治―十代将軍(一七三七~一七八六)死因・脚気衝心(心不全)/家斉―十一代将軍(一七七三~一八四一)死因・急性腹症/家慶―十二代将軍(一七九三~一八五三)死因・暑気当たり/家定―十三代将軍(一八二四~一八五八)死因・脚気衝心(脳性麻痺)/家茂―十四代将軍(一八四六~一八六六)死因・脚気衝心(心不全)/慶喜―十五代将軍(一八三七~一九一三)死因・急性肺炎|将軍と正室・側室の平均寿命/あとがき/参考文献