返り忠兵衛 江戸見聞 秋声惑う
(かえりちゅうべええどけんぶん しゅうせいまどう)
芝村凉也
(しばむらりょうや)
[武家]
★★★★
♪文庫書き下ろし。
遠州の小藩定海藩を脱藩して、江戸の市井で暮らす若侍・筧忠兵衛の活躍と成長を描く爽快時代小説の第3弾。
「己の命を懸けてまでもか。自らの為すべきことが、そなたには他にあるはずであろう」
「貴殿は、しがらみと申されましたな。貴殿にしがらみがあるなれば、それがしには人と関わりおうた縁というものがござります。その縁を断ち切り、己の為すべきことのみに専念するは、こたび江戸へ出てきてよりの我が生き方を自身で否定すること。それでは、たとえ本懐を遂げたとて、何も為し得たことにはなり申さぬ」(『返り忠兵衛 江戸見聞 秋声惑う』P.151より)
三作目の今回、忠兵衛はまた一つ大きな試練を与えられる。定海藩主御側御用取次の神原采女正から、御前の正体と浅井蔵人の策略を聞かされる。それは、忠兵衛の江戸での生活の基盤を形作っているものの一つだった。
――今、こうして生かされているだけで十分ではないか。生きているからこそ悩み、苦しむのだ。苦しむだけ苦しんで、己できちんと結論を出せば、それでよい。出した結論が正しいとは限らぬ。しかし、己が考えに考え抜いた上で出した答えならば、たとえ誤っていたとしても後悔はせぬはずだ。
(『返り忠兵衛 江戸見聞 秋声惑う』P.306より)
このシリーズが読んでいて心地良いのは、忠兵衛の考え方、生き方が純粋で真っ直ぐな部分によるところが大きい。真っ直ぐなだけに逆境や奸智に翻弄されながらも、周囲に味方をつくり、支えられながら試練を乗り越え成長していく。それは若者の特権であり、失ってしまった郷愁であり、おじさん読者を魅了してやまない。教養小説(ビルドゥングスロマン)のエッセンスが、ある種の爽快感をもたらしている。
主な登場人物◆
筧忠兵衛:定海藩の御蔵奉行の弟で、部屋住
筧壮太郎:忠兵衛の兄で、定海藩の御蔵奉行、藩内改革急進派を押さえようとして殺される
紗智:定海藩で御前様と呼ばれる影の実力者に仕える奥女中
浅井蔵人:御家人
健三:蔵人の使用人
与茂平:蔵人の使用人
勝弥:深川の芸者
おさと:忠兵衛と同じ長屋に住む魚屋の女房
おまつ:忠兵衛の住む長屋の住人
弥太郎:おまつの亭主で大工
おみち:おまつの娘
甚吉:町火消しよ組の平鳶
玄三郎:町火消し一番組頭取
清吉:よ組の頭
粂辰:よ組の纏持ち
善次:よ組の梯子持ち
五番組先代
おせん:五番組先代の孫娘
富松:おせんの亭主で土器職人
箕八:獣芸付け
佃屋彦右衛門:魚問屋組合世話役
清兵衛:鉄砲洲の廻船問屋洲崎屋の主
岸井千蔵:南町奉行所定町廻り同心
岡次:岸井の手先を務める岡っ引き
樺島直篤:定海藩主
神原采女正:定海藩主御側御用取次
内藤小六:神原家の家士
樺島隆胤:御前と呼ばれる人物の本名。直篤の叔父で、先代藩主の弟
貸本屋
与平:忠兵衛の連れとなる町人
茂平:道案内の百姓
会田三郎兵衛:脇坂中務大輔の家来で、寺社奉行所大検使
間瀬市右衛門:山形藩物頭役で、天真正自顕流の遣い手
小林猪野五郎:山形藩横目
安藤:山形藩藩士
嘉造:須原屋三番番頭
懐古堂:戯作者志望の若者
物語●深手を負った与茂平とともに定海藩下屋敷から脱出した筧忠兵衛は、自らの手で慣れない炊事や洗濯などの雑事をする毎日だった。
そんなある日、忠兵衛は、定海藩藩主御側御用取次の神原采女正から永代橋たもとの船宿に呼び出される。神原は忠兵衛の剣術仲間で与茂平の雇い主でもある浅井蔵人の策略を告げ、国許から江戸へ逃がしてくれた恩人である御前と呼ばれる人物の正体を明かす。先の藩主の弟で現藩主の叔父で、自身が藩主になろうと望みさまざまに画策し、御家乗っ取りの騒動を起こしていたという…。
頼りとしていた者の実態を知り、動揺する忠兵衛。そんな折、恩人の元火消し五番組頭取の孫夫婦が寺社奉行所に捕らえられたことを知り、心の葛藤から逃れるように慣れない探索を始める…。
目次■第一章 うとろう景色/第二章 墓石の怪/第三章 霧中迷宮/第四章 没落名家の屈託/第五章 西御丸大手御門一件