海の螢 伊勢・大和路恋歌
(うみのほたる・いせやまとじこいうた)
澤田ふじ子
[短編]
★★★☆☆☆
♪あとがきによると、月刊女性誌「ラ・セーヌ」(学習研究社)の1992年7月号~1993年12月号に、400字詰原稿用紙16枚、1話完結、舞台は三重県と奈良県という、限定された条件下で書かれた短篇集。
五世紀の雄略天皇の時代や、聖徳太子、十世紀の章明親王の娘などから、戦国、江戸時代までいろいろな時代を取り上げており、作者の引き出しの多さを感じさせてくれる。雄略天皇というと、神話に近い世界で、安部龍太郎さんの『血の日本史』(新潮文庫)以外に読んだことがなかったので、新鮮だった。
個人的には「伊勢の椿」「菊の門」「磯笛の玉」が好きだ。
物語●「伊勢の椿」於根は、あぶな絵を画いたために狩野派を破門になった父に伴われて伊勢路村に移り住んでいた…。「多度の狐」美鹿村に住む貧農の娘お鈴は、不作続きのために両親から宿場女郎に売られることを打診された…。「神贄斎王」雄略天皇の娘稚足姫皇女(わかたらしひめみこ)は、父に対して批判的だった…。「やぶれ袋」甲賀に近い丸柱村。お千代の恋人の定七は、伊賀の上忍・藤林長門に仕える忍びであり、陶工の名人だった…。「海底の旗」いさの許婚・小弥太は、九鬼嘉隆の軍に徴用され、朝鮮に連れて行かれた…。「斑鳩の雨」そのとき聖徳太子は、四十八歳だった…。「寒夜の酒」興福寺東金堂の堂衆として仕える俊照は、木辻遊廓にいる幼馴染のかなのことが気がかりだった…。「菊の門」津藩士井沢弥兵衛と妻の登世は、姑の快気祝の茶会の準備のために嵯峨菊を求めに寺に出かけた…。「磯笛の玉」海女稼ぎをするお竹は、毎朝陰膳を一つ作っていた…。「父娘街道」赤福が名物の茶店に、奇妙な二人連れがやってきた…。「鬼桜」今井村の紺屋に働く伊佐は、型紙の売人に恋していた…。「哀しい宿」亀山宿に薬商の女子衆がやってきた…。「奈良の団扇」伊賀上野城下で雑貨屋を営む文蔵は、その年の団扇の仕入れで頭を悩ましていた…。「伊勢の聖」伊勢山田・寂照寺の住職月僊(げっせん)は、絵の巧者として知られていたが、「乞食月僊」と呼ばれていた…。「霧の中」関ケ原に近い古田村の村人たちは、東西両軍の激突の後に備えていた…。「海の蛍」お伊勢参りの旅客を載せた船が漂流していた娘を助けた…。「野宮の恋」済子女王は、潔斎の暮らしをするために、嵯峨野の野宮での生活をはじめた…。「炎の遷宮」安土城に、伊勢神宮の神官とその娘が信長への面会を求めてやってきた…。
目次■伊勢の椿|多度の狐|神贄斎王|やぶれ袋|海底の旗|斑鳩の雨|寒夜の酒|菊の門|磯笛の玉|父娘街道|鬼桜|哀しい宿|奈良の団扇|伊勢の聖|霧の中|海の蛍|野宮の恋|炎の遷宮|あとがき|解説 縄田一男