宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編
(そうたんぎつね・ちゃのゆにかかわるじゅうにのたんぺん)
澤田ふじ子
(さわだふじこ)
[短編]
★★★★
♪井ノ部康之さんの『利休遺偈』を読んで以来、茶の湯をテーマにした時代小説を読みたいと思っていた。折りよく、澤田さんのこの短編集が文庫化された。裏千家の月刊茶道誌『淡交』に連載された短篇をまとめたものということで、プロの茶道家の鑑賞眼にもたえた作品。
表題作の宗旦以外は千家の人々は登場しないが、茶の湯にまつわるものや人に題材をとった佳品ばかり。澤田ふじ子さんの作品の美質が表れた短篇集。「仲冬の月」で描かれた「利休七哲」の一人、瀬田掃部が今までスポットの当たることのなかった人物だけに印象深かった。
狭苦しい茶室で、さまざまなうるさい約束事にとらわれ、苦い茶を服することにどんな意味があるのか、問われた瀬田掃部は、
「なるほどそのことか。太閤秀吉さまのご家来衆のおもな人々は、みんな茶湯を行っているわなあ。だがそれについて、わしはこんな気持ちでしていると語っておられるお人はいないからのう。長吉、わしは要するに、利休さまが唱えられている茶湯は、宿業をそなえた人間がいかに生きていくかを、それでしめしたものじゃと解している。しかし、茶湯を行うにしても、はっきりした考えをもっておられるお人は少なかろう。ほとんど俗世への格好だけじゃ。名物道具は、金や力がなければ入手できまい。持てば人の扱いがちごうてくる。具体的にはわしは緊張を解きほぐすために茶湯を行っている。…」
作者の茶湯観がよく出ているシーンである。
利休の高弟で武将を「利休七哲」という。蒲生氏郷(がもううじさと)、細川三斎(ほそかわさんさい・忠興)、高山右近(たかやまうこん)、芝山監物(しばやまけんもつ)、牧村兵部(まきむらひょうぶ)、古田織部(ふるたおりべ)、瀬田掃部(せたかもん)をいうが、織田有楽斎(おだうらくさい)を加えることもある。
利休七哲の武将たちは、いずれもその生き様と死に様に筋が通っていて、さすが優れた茶人でもあると思わせる。岳宏一郎さんの『花鳥の乱―利休の七哲』では、織田有楽斎に加えて、荒木村重と前田利長が入っている。茶人としてより武将としての面にスポットを当てた作品だっただけに、史実が少ない芝山監物や牧村兵部、瀬田掃部より、描きやすかったからかもしれない。
物語●「蓬莱の雪」京都五条大橋東の鞘町で、小さなうどん屋を営む弥助は、一文無しの道服姿の蓬髪の男にうどんをご馳走した。男はうどん代のかたに、掛幅の絵を置いていった…。「幾世の椿」東九条村の百姓甚助が丹精している白椿の一枝を呉服問屋の番頭が譲っていただきたいと申し出たが…。「御嶽の茶碗」大垣藩の詰目付で五十石どりの天野九左衛門は、家禄にそぐわずに、屋敷内に茶室を設けているのが自慢。茶道具などの目利きも家中随一で、茶湯数寄だった…。「地獄堂の茶水」小間物問屋を営む菊屋吉右衛門の母お貞は、毎年三月六日に、鴨川の源流高野川から、正午きっかりの時刻に汲んだ水で一服茶を点て、服する行為を続けていた…。「戦国残照」関ヶ原の合戦で夫を失ったお小夜は、六十歳になり、元問屋を営む息子と嫁、二人のありの孫に囲まれ、老後は安泰そのものだったが…。「壷中の天居」大工手伝いの弥吉は家に戻る途中に、東洞院通りの普請場で、道服姿の初老の男が侍童をしたがえて、普請の指図をしているのを見かけた…。「大盗の籠」竹籠作りを生業している六蔵は、立派な服装をした公家侍らしい三十歳前後の男がうずくまって、お店奉公の小僧の小汚い草履の前緒を結び直しているのを見かけた。六蔵は、前緒をすげ終えた公家侍に声を掛けて冷えた麦茶をふるまった。男は梶井宮門跡に近習として仕える森田宗祐と名乗った…。「宗旦狐」寺町今出川の葦簾茶屋は焼餅と串団子を名物にしていた。古びた道服を着た、人柄のよさそうな老人が、侍童を従えて日暮れになると決まって茶屋にやってきて、一皿三本の串団子を三皿もぺろっと平らげて上機嫌で帰っていった。その老人が店に来るようになって、串団子の評判が高まり、売れ始めたという…。「中秋十五日」篠山藩士中川安左衛門は、中秋十五夜を明日に控えた夜、与力組頭の山根太郎助の小さな茶室の中でほかの客とともにお茶をふるまわれる夢を見た。茶室には、秋月等観の「月夜山水図」が掛けられていた…。「短日の霜」松江藩士岩渕右衛門七は、父の仇討ちのために、二十年も前に国許を出たが、敵の所在をつかめないまま、心臓を病み床についていた。妻のお岩が呉服屋から仕立て物を任せられて生計を立てていた。丁寧な仕事ぶりと、工夫を見込まれて茶湯で用いられる仕覆も注文されるようになり…。「愛宕の剣」宇治の茶商上林牛加家の奉公人で、茶の栽培をしている、甚兵衛の娘和哥は、父と一緒に愛宕山に茶壷を取りに行くように命じられた…。「師走の書状」十年前までそこそこの扇商を営んでいた六左衛門は、不運が重なり没落して、裏長屋で病の床についていた。そして娘の志穂を先斗町遊廓に下女奉公に出すことも決まっていた…。「仲冬の月」豊臣秀吉の家来で、利休七哲にも数えられる瀬田掃部は、秀吉の下を去る最後の決断をつけ、領地の西山の地にやってきた…。
目次■蓬莱の雪|幾世の椿|御嶽の茶碗|地獄堂の茶水|戦国残照|壷中の天居|大盗の籠|宗旦狐|中秋十五日|短日の霜|愛宕の剣|師走の書状|仲冬の月|初刊本あとがき|解説 大野由美子|澤田ふじ子 著書リスト
カバーデザイン:東京図鑑
解説:大野由美子
時代:「戦国残照」寛永十三年。「壷中の天居」応仁の乱の頃。「大盗の籠」延享三年。「仲冬の月」文禄四年。
場所:「蓬莱の雪」京都五条大橋東の鞘町。「幾世の椿」東九条村。「御嶽の茶碗」大垣藩城下。「地獄堂の茶水」高倉錦小路上ル。「戦国残照」山城国大山崎、摂津国広瀬村。「壷中の天居」東洞院通り。「大盗の籠」上京・五辻通り。「宗旦狐」寺町今出川。「中秋十五日」篠山藩城下。「短日の霜」上京・実相院町。「愛宕の剣」宇治、愛宕山。「師走の書状」上京・御所八幡町。「仲冬の月」西山ほか
(徳間文庫・552円・05/05/15第1刷・283P)
購入日:05/05/10
読破日:05/05/17