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槍持ち佐五平の首

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槍持ち佐五平の首
槍持ち佐五平の首
(やりもちさごへいのくび)
佐藤雅美
(さとうまさよし)
[武家]
★★★★☆

表題作のテーマになった相馬藩の槍持ちの話は、どこかで読んだ気がする。だれの作品だったのだろうか?

武家も義理やら忠義やらと大変だと思っていたが、それ以外にもたいへんなことがあるのがわかった。「小南市郎兵衛の不覚」と「槍持ち佐五平の首」は、つまらぬ意地の張り合いから、起こる愚かな悲劇。「重怨思の祐定」は陰湿ないじめが日常茶飯事だった、江戸幕府役人の世界。

町奉行矢部定謙の探偵気質を描いた「身からでた錆」。「ヨフトホヘル」では、冒険家として知られる近藤重蔵の奇矯な一面を描いた。このぐらい個性派でないと、後世に名を残すことはできないのかも。

前半が愚か旗本列伝だとしたら、後半はバカ殿列伝といったところか。「見栄は一日 恥は百日」は出世欲・名誉欲に取りつかれた津軽寧親を、「色でしくじりゃ井上様よ」では浜松六万石の井上正甫を、それぞれシニカルに描いている。同じ大名でも、青年大名の理想と夢をテーマにした、「何故一言諫メクレザルヤ」の水野忠辰は感情移入ができる存在だ。

いずれの作品も悲劇的な要素や皮肉をふくみながらも、作者の主人公たちへの眼差しが冬の日のように温かいために、読み味の良さにつながっている。偉いと思われる旗本や大名にも愚かさが見られるのが、人間らしくて魅力的ともいえるのかもしれない。

物語●「小南市郎兵衛の不覚」七百石の旗本・羽太求馬正祐の屋敷で酒宴があり、長男半蔵の槍の師である八十石取りの旗本・小南市郎兵衛も招待されていた。その市郎兵衛と求馬の長女ふさが、酒宴の後、座敷で不義密通をしているところを求馬の姪に見られた…。「槍持ち佐五平の首」奥州街道の大田原の本陣に、相馬長門守益胤が泊まれるように、家来の絹川弥三右衛門が手筈を整えていたところに、会津松平家の宿割役人が無体を言って、宿の明渡しを申し入れてきた…。「ヨフトホヘル」旗本・近藤重蔵は蝦夷御用を務め、択捉島に大日本恵土呂府の標木を建てたことで知られるが、太田南畝にヨフトホヘル(酔うと泣えるのもじり)と評されるように、きわめて評判の悪い人物だった…。「重怨思の祐定」三百俵取りの旗本・松平外記は、父が将軍世子家慶の御小納戸ということから、部屋住みの身で、御番入りを果たしたが、古参連中の横暴やいじめにあうことになった…。「身からでた錆」幕末の三秀とか三傑と呼ばれる矢部駿河守定謙は、三百俵取りの旗本ながら、勘定奉行、江戸町奉行という最高位のポストを歴任した。しかし、町奉行を罷免されると、伊勢桑名藩御預けの身になり、憤然と絶食の上、命を断つという壮絶な最期を遂げた。歴史学者の三田村鳶魚は、矢部のことを「すこぶる陰の暗い人で、大いに探偵根性が突っ張っている」と評したが…。「見栄は一日 恥は百日」津軽越中守信順は、将軍家斉の太政大臣への昇進の儀式、御大礼で、四品(しほん、従四位下の無官)には許されていなかった、轅(板輿)に乗って御大礼に登城した…。「色でしくじりゃ井上様よ」浜松藩主で奏者番の井上河内守正甫は、同僚の内藤大和守頼以の下屋敷で、小鳥狩の際に、下屋敷に住む百姓の女房に押して不義におよび、目撃した亭主と争って腕を斬り落とすという前代未聞の不祥事を起こした…。「何故一言諫メクレザルヤ」水野越前守忠邦は、家中の老臣関泰継、侍講塩谷宕陰、藩儒小田切敏に命じて、各御先代の遺事功業を網羅した録を編纂するように命じた。三人は、八代目の忠辰(ただとき)について、家譜には「十四歳で家督し、二十九歳のとき病を得て卒す」とのみしか記されていないのを見つけて不審に思った…。

目次■小南市郎兵衛の不覚|槍持ち佐五平の首|ヨフトホヘル|重怨思の祐定(かさなるうらみおもいのすけさだ)|身からでた錆|見栄は一日 恥は百日|色でしくじりゃ井上様よ|何故一言諫メクレザルヤ|解説 島内景二

カバー:蓬田やすひろ
解説:島内景二
時代:「小南市郎兵衛の不覚」天保三年。「槍持ち佐五平の首」文政初年。「ヨフトホヘル」文政九年。「重怨思の祐定」文政六年。「身からでた錆」文政十一年。「見栄は一日 恥は百日」文政十年。「色でしくじりゃ井上様よ」文化十三年。「何故一言諫メクレザルヤ」寛保二年。
場所:「小南市郎兵衛の不覚」小石川御門。「槍持ち佐五平の首」大田原。「ヨフトホヘル」武州荏原郡三田村。「重怨思の祐定」築地小田原町。「見栄は一日 恥は百日」本所二ツ目ほか
(文春文庫・552円・04/04/10第1刷・341P)
購入日:04/04/11
読破日:04/04/17

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