死ぬことと見つけたり 上・下
(しぬこととみつけたり)
隆慶一郎
(りゅうけいいちろう)
[武家]
★★★★☆☆
[再読]
♪『武道通信』の杉山さんからこの本の前書きに書かれていたことについて聞かれ、いい加減に答えてしまったことが気になって、再度読んでみたくなった。
「戦争の間じゅう『葉隠』は『レ・ミゼラブル』や『岩窟王』のように、或は又『デビッド・カッパーフィールド』のように、冒険と波瀾に満ち満ちた、痛快この上ない読物として、僕を楽しませてくれることになった。」(上・p13)という、作者の前書きにあるように、この時代小説は、作者が読み替えて楽しんだ『葉隠』を一大ロマンとして我々の前に再構築している。(もっとも『葉隠』を読んでいないのだからエラそうなことは言えないが…)
主人公の斎藤杢之助(もくのすけ)をはじめとした、佐賀の葉隠武士たちの難事に直面した際の出処進退ぶりが見事で、すがすがしい気分にさせてくれる。そして物語に引き込まれ、主人公たちに共感し、喜び・笑い・泣き・憤るといった気持ちが大いに発散できる。
実は再読なのだが、細かい記憶がすっぽり抜け落ちていて、初読のとき(十年前)と同じように、いや今回はディテールまで楽しめたので、面白さはそれ以上だ。“心の一方”の松山主水やかぶきもの・水野成貞のエピソードは、記憶からすっぽり抜け落ちていた。
武士道や死という、重いテーマをここまでエンターテインメントとして昇華させる作者の筆力は稀有なもの。やはり、『花と火の帝』や『かぶいて候』、『見知らぬ海へ』等と同じく、作者の死により未完に終ったことは痛恨の極みである。
物語●斎藤杢之助は、朝、目が覚めると、蒲団の中で己の死の様々な場面を思念し、実感することで、死んで置くのだ。父子三代に渡り伝わる佐賀武士独特の心の鍛錬法だ。既に死人であることで、平静に死を見つめることができ、戦闘のプロとして闘って死ぬことができるのである。
杢之助は、居候先の馬方の娘・お勇とやがて結ばれるが、祝言を目前に控えたある日、友人の中野求馬から島原でいくさが始まることを聞いた…。
目次■第一話/第二話/第三話/第四話/第五話/第六話/第七話(以上上巻)|第八話/第九話/第十話/第十一話/第十二話/第十三話/第十四話/第十五話/結末の行方/解説 縄田一男(以上下巻)