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無名の虎

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無名の虎
無名の虎

(むめいのとら)

仁志耕一郎

(にしこういちろう)
[戦国]
★★★★☆☆

第4回朝日時代小説大賞受賞作品。戦国時代の甲斐武田家を舞台に、武人としての出世の夢に敗れた無名の男が、治水工事に新たな人生のすべてを懸ける物語。

 人とは、何かと戦うために、この世に生まれ出てくるのであろうか――。
 軍兵衛は縁側で、高白斎を相手に将棋を指しながら、見上げた鉛色の空に目を留め、ふとそう思った。
 
(『無名の虎』P.5より)

主人公は、文武両道に通ずる、軍(いくさ)に生きる兵(つわもの)になれという、願いを込めて名付けられた軍兵衛。その名のとおり、十文字槍を得意とし、武川衆の棟梁として、一隊を率いて戦った戦の中で、利き腕を矢で射抜かれて失う。二十四の若さで、満足に刀も持てぬようになり、武士の道を断たれる。

軍兵衛は、家督を弟に譲り、半年後に住み慣れた武川郷から甘利荘の雨宮家に養子に入る。そして、釜無川の川除普請奉行に任じられる。

「わしが信濃を攻め取るが早いか、その方らが川を鎮めるが早いか、競おうぞ」
 晴信の三白眼が鋭く光った。脅しのようであり、励ましのようでもあった。
 
(『無名の虎』P.35より)

戦国時代を舞台にした時代小説で、戦ではなくて、治水工事に主題を置かれたものは、ほかに思い浮かばない。そこに主題を置いたことで、この物語がユニークで面白いものになったと思う。武田信玄(晴信)を名君として描いた物語は少なくなく、今でも山梨県の英傑の一人として称えられているが、軍事だけでなく民政面にも力を入れていたからなのだろう。

本作品では、若き日の、晴信と名乗っていた頃の信玄が颯爽と登場する。

 川の流れを分ける、魚嘴。土手を守る、石積出し。川の流れを殺す柵、聖牛。同じく川の流れを削ぐ、長い蛇のような竹籠に石を入れた、竹蛇籠。欅や榎を河原に植え、水の勢いを止める、水防林……。
 どれも驚かされる工夫ばかりだった。実際に作れば、難なく治められる気さえしてくる。
 
(『無名の虎』P.35より)

治水工事といっても、単に土手を高く築くばかりでなく、中国の文献(六韜や三略など)をもとにした治水術も取り入れられていて興味深い。そういえば、中国の歴史小説では、川の氾濫が統治者を悩まし、灌漑や治水は兵法に通じる重要テーマとして扱われていたように思う。

 出世で上を目指している新左衛門にとって、笛吹川の川除普請など、どうでもよかった。そんなことより今は、佐久でのことが気になっている。佐久へ小荷駄隊を率いて石和に帰ってきた兄の話では、連戦連勝していると口も滑らかだった。来年の秋までには佐久を平らげる勢いだという。
 
 (略)
 
 この勢いでいけば、おそらく五、六年先には信州を平らげてしまう。そうなれば、もう出番はなく、出世の道はない。隅に追いやられ、忘れられてしまったようで、焦りを感じる。
 虎は死して皮を留め、人は死して名を残すというに……。
「――糞っ! とんだ貧乏くじを引いたものじゃ」
 新左衛門は寝そべりながらも盃に酒を注ぎ、一気に呷った。
 
(『無名の虎』P.97より)

物語では、同じ川除普請奉行として、軍兵衛のライバルであり、同僚でもある、末木新左衛門が登場する。元は商人の家柄で、武士としての出世を強く望む男だった。その好対照ぶりが物語に奥行きを与えている。

「軍兵衛、腕一本、失うたからと、人生を容易く諦めるではない。諦めさえしなければ必ず道は開ける。災難の後には必ず仕合せが待っておるものぞ。それを途中で諦めるからたどり着けぬのだ。長く生きてきた、この年寄りが言うのじゃ。間違いはない」とそこまで言ってから、にやりと笑みを浮かべた。」

(『無名の虎』P.110より)

新左衛門のほかにも、軍兵衛の相談相手で後見役でもある高白斎や義父善太夫、雨宮家の婢頭のサトと百姓の若後家おゑんなど、個性的な人物が登場する。

「軍兵衛、武士ならば最期まで戦え。腕を失い、幼子を亡くしたからと、甲斐武田の武士が無様な死に様を晒すでないわ。後に続く者たちの心まで腐らせてしまうではないか!」
 
(『無名の虎』P.187より)

数々挫折を経験しながら、その度ごとに乗り越えて、前に進もうとする軍兵衛の生き様に快い感動を覚える。かの有名な「信玄堤」はこのようなドラマがあって完成したのかもしれない。

ウィキペディア「信玄堤」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%8E%84%E5%A0%A4

主な登場人物
雨宮軍兵衛:武田家川除普請奉行、三十歳
駒井高白斎:武田家重臣
米倉重継:軍兵衛の実弟で、武川衆の棟梁
末木新左衛門:武田家川除普請奉行
末木政清:新左衛門の兄で蔵前衆
熊吉:下男頭
武田晴信:甲斐武田家当主
飫富昌景:武田家重臣、後の山県昌景
板垣信方:武田家重臣、諏訪郡代
甘利虎泰:武田家重臣
山本勘助:武田家家臣
岐秀元伯:長禅寺の高僧で、川除の術に通じている
サト:婢頭
おゑん:六科村に住む若後家
雨宮善太夫:軍兵衛の義父
ミツ:百々村の若後家
イネ:飯野村の若後家
岩吉:末木家の下男
宗右衛門:野牛島村の乙名衆の一人
猿助:雨宮家の下男頭
高坂昌信:武田家家老

物語●
「十文字槍の軍兵衛」と誰もがその腕を褒め称え、戦場こそが己の真価を発揮できる唯一の場所と信じていた雨宮軍兵衛は、六年前に戦いの中で右腕を矢で射抜かれてしまう。利き腕をなくし、戦場で名を上げられなくなった軍兵衛は、川除普請奉行に任じられる。
川除普請奉行は、治水を行う土木作業で、甲斐では重きを置かれているものの、家来もおらず禄も低く、手柄にならず、賦役を課せられる村人からも嫌われる割の合わない役回りだった。
軍兵衛が川除普請奉行に就いて四年目に、大雨により御勅使川や釜無川、笛吹川や荒川が氾濫し、甚大な被害を受ける。軍兵衛は、同僚の末木新左衛門とともに武田晴信から、叱責を受け、山本勘助の進言に従い、治水の術に精通した長禅寺の高僧・岐秀元伯に教えを請う…。

目次■目次なし

装画:浅野隆広
装幀:川上成夫
時代:天文十五年
場所:甘利庄、躑躅ヶ崎館、鮎沢、竜王河原、御勅使川、釜無川、御庵沢川、割羽沢川、笛吹川、韮崎、八田荘六科村、石和、ほか
(朝日新聞出版・1300円・第1刷2012/11/30・236P)
入手日:2013/01/24
読破日:2013/02/01

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