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紀之屋玉吉残夢録 あばれ幇間

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紀之屋玉吉残夢録 あばれ幇間
紀之屋玉吉残夢録 あばれ幇間

(きのやたまきちざんむろく あばれほうかん)

水田勁

(みずたけい)
[捕物]
★★★★☆☆

文庫書き下ろし
著者の水田さんのプロフィールは詳しく公開されていないが、京都市在住で、本書が文庫書き下ろし時代小説デビューとのこと。

これまで幇間(太鼓持ち)を主人公にした時代小説は、ほとんどなかったのではないだろうか。少なくとも自分は読んだ記憶がない。ということで、遅ればせながら本書を手にして読み始めて驚嘆した。とんでもなく面白いのだ。

 玉吉が住んでいるのは、永代寺の裏手の冬木町だ。
 仙台堀と油堀をつなぐ堀は数本あるが、玉吉がいるのは、冬木町入堀という堀のひとつで、行き止まりになったいちばん奥にある。隣は武家屋敷。表の通りから言えば、路地裏の一軒家になる。
 もと村方三役をつとめた本百姓が住んでいた家だ。
 新大橋から永代橋まで落ちた天明六年(一七八六)の大洪水のとき、母屋以下ほとんどの家作が流され、ふたつの蔵と、いま玉吉が住んでいる仕分け場の建物だけが残った。
 
(『紀之屋玉吉残夢録 あばれ幇間』P.20より)

物語の冒頭で、玉吉の住まいの描写がされる。興味深いのは、天明六年の大洪水の話が出てくることだ。低湿地であった深川では何度か洪水に悩まされたことと思われるが、時代小説の中で描かれることは多くない。

また、さらに興味深いのは、その後に「玉吉はそのときの洪水を知らない。巡見隊に加わり、蝦夷地へ出かけていたからだ」と続けられていること。幇間になる前の玉吉が蝦夷地に行っていたことから、俄然、ストーリー展開に興味が湧いてきた。

「指示は中島さまがなさる」
「松原とわたしだ。ほかにこのことを知っているのは、わたしの上司にあたる方がひとり。この三者の合意で成り立っているということだ。小者は何人使ってもよいが、これらのものには、なにも打ち明けなくてよい」
「三者のみということは、手前の存在を公儀はご存じないということですね」
「そういうことだ。残念ながら、おぬしの身分や、行為を、公儀が認めたものではないということになる。だれのしたことか、われわれ三人は知っているが、それが他へ漏れることはないということにすぎん。ことが明るみに出たら、できる限りのことはするが、それにも限度があることになる」
「助けてはやれないということですね。そしてあなた方は、知らぬ存ぜぬですますことができる」

(『紀之屋玉吉残夢録 あばれ幇間』P.63より)

玉吉が、北町奉行所非常取締掛り与力の中島嘉門から、奉行所の手が及ばない府外の悪党に、正義の剣を振るってもらいたい、善良な民百姓に成り代わって、正義を成し遂げてもらいたいと命を受ける場面。玉吉に振られた役割の非情さにハードボイルドさを感じて、シビれる。

中島からの依頼を一度は断りながらも、料亭でたまたま聞いた話に不審を感じて調べ始めた玉吉は、三年前から江戸を荒らす押込み強盗事件に巻き込まれていく。

「それは買いかぶりでしょう。手前がどうして、幇間に身を落としたと思いますか。目の前のちっぽけなことに、かかずらって生きてきたからです。吹きだまりを漂っている浮き草。徒党を組んだり、なにかに加わったりするほどの芯も根っこもありません。手近の芸者と、惚れた、腫れた、とやってるのが関の山という人間です」
 
(『紀之屋玉吉残夢録 あばれ幇間』P.281より)

玉吉が魅力的なのは、蝦夷地で絶望の縁に身を置いた経験をもち、幇間という人から蔑まれることも少なくないこと生業にしながらも、人としての矜持を失わずに、真摯に日々を生きていること。

「おれはべつに、偉そうなことが言える人間じゃねえ。だが本物の死が来るまでは、生きる努力をしようと決めた心に変わりはねえ。生きてさえいたら、この先なにか、得るものがあるかもしれんだろうが。それが希望とか、生きるための目当てとか、いうものじゃないのか。いつか、なにかに巡り合える。その信念がある限り、どんなつらいことだって耐えられる。(以下略)」

(『紀之屋玉吉残夢録 あばれ幇間』P.318より)

ストーリー展開にあわせて、次第に明らかになっていく、玉吉の過去。それを知れば知るほど、主人公に深く感情移入がされていく。

物語が描かれているのは、関八州取締り出役が、数カ月後につくられたとあるので、文化二年ということになるが、当時の関八州の治安状況や、蝦夷地での統治の様子など、ところどころに織り込まれる江戸の背景知識も楽しめる。

面白かったので、続編『いくさ中間 紀之屋玉吉残夢録(2)』を早速注文してしまった。

主な登場人物
紀之屋玉吉:永代寺裏手の冬木町に住む幇間。元御家人の澤井格之丞
染奴:深川の半玉(見習い芸者)
松原冬次郎:北町奉行所隠密廻り同心
喜久造:岡っ引き
伊之助:手先
中島嘉門:北町奉行所非常取締掛り与力
宗海:南小松川村の満寿寺の住職
三州屋徳兵衛:芝の廻船問屋
中道屋祐助:本所の米問屋
金子勇四郎:御先手組組頭のせがれで、格之丞の昔の剣術道場仲間
石山喜之助:御持筒組同心で、格之丞の幼なじみ

物語●
かつて御家人として剣に生き、幕府の蝦夷巡見隊にも参加した澤井格之丞は、今は紀之屋玉吉という名に変えて、幇間として裸踊りで座敷を盛り上げる日々を送っている。ある日、玉吉は自分の過去を知る男たちの座敷に呼ばれて、裸踊りの座敷芸を披露した。

その十日後、玉吉を座敷に呼んだ男の一人、北町奉行所隠密廻り同心の松原冬次郎の呼び出しを受けて八丁堀の屋敷を訪れた。そして、冬次郎から力を貸してほしいと頭を下げられる。そしてその上司で与力の中島嘉門から、奉行所の手が及ばない府外の悪党に、正義の剣を振るってもらいたいという命を受ける……。

目次■なし

カバーイラストレーション:蓬田やすひろ
カバーデザイン:bookwall
時代:文化二年(1805)(関八州取締出役が作られた年)
場所:深川、冬木町、八丁堀、正覚寺、湯島天神、境川、南小松川村、中川船番所、大塚新田村、下谷具足町、神明町、青山久保町、北十間川、矢来下、伊勢崎町、洲崎、ほか
(双葉社・双葉文庫・619円+税・2012/12/16第1刷・320P)
入手日:2013/09/11
読破日:2013/09/14

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