柳生一族
(やぎゅういちぞく)
松本清張
(まつもとせいちょう)
[短編]
★★★☆☆☆
♪松本清張さんは、折を見て、その時代小説を読みたいと思っていた作家の一人だ。たまたま入った書店で古めの文庫本があり、入手した。松本さんというと、長編もののイメージが強いだけに新鮮な印象を受けた。
松本清張さんの時代小説というと、『かげろう絵図』『天保図録』『鬼火の町』『乱灯・江戸影絵』など、長編もののイメージが強い。本書に収録されている作品は、いずれも1955年から1956にかけて発表された、松本さんにとって初期の短編ばかりだ。筆致など、多少、古い感じはするが、一編一編が個性的で、アイロニックなところがあり、面白い。
表題作は、柳生但馬守宗巌(石舟斎)→又右衛門宗頼(宗矩)→十兵衛三巌と続く、柳生家の男たちのエピソードを綴ることで、柳生家とは何かを描いた短編。「廃物」では、九代将軍家重の寵臣・大岡忠光の通訳ぶりを描いている。「廃物」は、死の寸前に大久保彦左衛門が、三河武士としてみずからの反省を回顧する物語。「栄落不測」は綱吉の性格が顕著に表れた人事に翻弄される男を描いている。「破談変異」は、目付豊島刑部による、老中井上正就刺傷事件を題材にし、「五十四万石の嘘」は、肥後熊本の加藤家改易をテーマにしている。いずれも共通しているのが、史実に題材を取りながら作者の皮肉が利いている。「破談変異」と「五十四万石の嘘」は、微妙に史実と作中の年代が違っているので注意。
そんな中で異色なのが、「蓆(むしろ)」。将軍に献上する宇治茶を運ぶお茶壷道中を描いていて興味深い。わらべ歌で、「ズイズイ ズッコロバシ胡麻味噌ズイ 茶壷に追われて トッピンシャン 抜けたらドンドコショ」というのがあるが、その意味が少しわかった。「疵」は、上意討ちの実体と、江戸初期の主従関係というが興味深く描かれている。この2編はフィクション性が高い。
物語●「柳生一族」大和国神戸の庄小柳生の城主柳生宗巌(やぎゅうむねよし)は三十七の歳に、諸国回歴中の神陰流の祖・上泉伊勢守(こうずみいせのかみ)から一手指南を受け、心服し弟子入りした。同じ時期に、伊勢守に入門した者に、柳生と同国の井戸野の城主で、戒重肥後守(かいえひごのかみ)の家来の松田織部之助がいた…。「通訳」八代将軍吉宗の嫡男・家重は、小さい時から言葉につかえ、長ずるに従って言語障害はますます進み、発音不明瞭で、周囲の者も近臣や老中も聞き取りに苦労した。そんな中でただ一人、家重の難解な言語を解するのが大岡出雲守忠光だった…。「廃物」大久保彦左衛門忠教は八十歳で、死の床に横たわっていた。彼の屋敷の病室には、見舞いの客たちが詰めていた。見舞い客たちは、臨終に立ち会って最期の別れにきた人たちであった…。「破談変異」家光の催した能楽に、在府の大名をはじめ、老中、若年寄、目付、役付の旗本など、その家族とともに陪観をゆるされた。目付豊島刑部は、そこで老中井上主計頭正就の娘に目を留め、相役の島田越前守の息子の嫁にと考えた…。「栄落不測」綱吉の小姓として側近に仕える喜多見若狭守重政は、三千二百石の旗本から一躍一万石の大名に取り立てられて、お側衆の上座を仰せつけられた…。「蓆」美濃国郡上郡八幡の領主、金森出雲守の家臣、富高与一郎は、一年の在府を終え、帰国の供に加わっていた。数日後には、久しぶりに対面する家族のことを考えながら、軽やかに足を運ぶ一行の中で、与一郎だけは、気分が石を詰め込んだようにふさぎ、できることならもう少し江戸に残りたいと思っていた…。「五十四万石の嘘」肥後国熊本城主加藤忠広の世子・豊後守光正は、江戸の屋敷に在ったが、毎日が退屈で仕方がなかった。わずかな愉しみは、茶道のお坊主で玄斎という、律儀で無類の臆病者をからかうことだった…。「疵」高月藤三郎は、藩主黒田長政の命で、一人で家中の木谷太兵衛を上意討ちすることになった。成功した暁には、家老の娘をもらう約束をしたが…。
目次■柳生一族|通訳|廃物|破談変異|栄落不測|蓆|五十四万石の嘘|疵|解説 武蔵野次郎