(にせもん)
(まついけさこ)
[芸道]
★★★★☆☆
♪歌舞伎界に題材をとった時代小説が多い松井さんの短編集。この分野の書き手が少ないだけに貴重な作品。松井今朝子さんの『似せ者』は、江戸時代の歌舞伎界から題材をとった、4つの短編小説を掲載している。プロフィールによると、松井さんは早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了後、松竹に入社し、歌舞伎の企画・制作に携わる。のち、フリーとなり、歌舞伎の脚色・演出・評論を手がけたという。歌舞伎界に精通した人。
というわけで、第八回時代小説大賞受賞の『仲蔵狂乱』や『非道、行ずべからず』など、歌舞伎の世界を背景にした時代小説が多く、いずれも読みごたえのある傑作ぞろいだ。『似せ者』は、短編ということで紙数が限られた中で、役者の素顔や芸に対する思いを切り取って描いていて興味深い。
また、中国の周の時代には正月が今よりも2カ月早かったとの言い伝えから、十一月に顔見世狂言を行う歌舞伎界の新年を「周の春」というとか、顔見世狂言の台本を作る前の九月十二日に江戸三座で行われる芝居の大枠を決める儀式を「世界定め」と呼ぶとか、芝居の世界で引退する際に演じる舞台を「一世一代」というとか、独特のことばも解説されていて、歌舞伎の門外漢も楽しめる。
一篇一篇異なった味わいがありながら、いずれも人の道と芸の道の対立を見事に描いている。
物語●「似せ者」初代坂田団十郎の付人だった与市は、伏見で小さな芝居小屋に出ていた伏見藤十郎こと桑名長五郎を、役者の評判記を書いている大仏餅屋庄左衛門と訪ねた…。「狛犬」市村座で若手随一といわれている市村助五郎は、ぱっとしない役者の大瀧広治といつもつるんでいたので、暑中見舞いに伺っていた太夫元の羽左衛門に狛犬のようだといわれるほど仲がよかった…。「鶴亀」角座の仕打の亀八は、役者の大立者の嵐鶴助が、今度の顔見世興行を最後に役者を引退すると聞いてうろたえた…。「心残して」芝居の囃方に勤める三味線弾きの巳三次は、喉自慢の旗本の次男坊神尾左京と出会った…。
目次■似せ者|狛犬|鶴亀|心残して|解説 末國善己