(えんちょうのおんな)
(まついけさこ)
[芸道]
★★★★☆☆
♪明治時代に、『真景累ヶ淵』『牡丹灯籠』などの怪談話で一世風靡し、近代落語の祖と言われた名人落語家三遊亭円朝。彼を愛した五人の女性を描いた連作形式の時代小説。江戸から明治に変わる歴史の転換期を舞台に、芸に生きた男と、その男と関わり翻弄し翻弄される女たちが活写している。
世に「英雄色を好む」という一方で「色男、金と力はなかりけり」なぞと申しますが、全体こいつぁどっちがほんとなんでしょうか。
はあ? どっちも嘘だ。なぜなら俺が女にもてないから。ハハハ、あなた人のお株を奪っちゃいけませんよ。
いえね、あなたが円朝の話をしろと仰言ったから、こうマクラを振ったんですが、思えばどちらも本当なのかもしれん。手当たりしだいに女を抱いて子種を残そうという男だからこそ英雄にもなれようし、女はとかく、この男は自分がついてなきゃだめなんだ、と思いあがって惚れたりもしますんで。フフフ、まあ、事ほど左様に男女の仲というのはよくできたもんですよ。
(『円朝の女』P.9より)
物語は、円朝の初期の頃からの弟子で後に五厘(芸人のマネージャー)になった男によって、練達な落語家の噺のように、軽妙に口説で語られていく。
当時はまだ鳴り物入りの派手な芝居噺が盛んに受け、円朝は高座を降りてもいささかきざな色男気取りで、銀杏髷の刷毛先をちょいとハネた髪型にこだわり、これが巷で円朝髷と呼ばれて流行ったくらいですから、歌舞伎役者もそこのけの人気者だ。
(『円朝の女』P.126より)
山田風太郎さんの『警視庁草紙』などの影響から、円朝は明治になってから活躍した落語家と思っていたが、十七歳の若さで真打ちとなり、維新前の幕末から活躍していたようだ。本書に収録されている三篇の話は江戸が起点になっている。
恋仲と夫婦仲はどこがどうちがうとお思いで? あたしが見たところ、お互い自分が悪者になれるかどうかが大きな分かれ目だという気がします。時に相手のために悪者にならなくちゃならない時だってある。それが夫婦というもんですよ。そこで縁が切れてしまうようなら恋仲で、お互い悪者になって、取っ組み合ってでもなかなか別れねえのが夫婦でしょうか。まあ近ごろはさっさと別れちまうのがおおいようですが」
(『円朝の女』P.201より)
本書では、憧れ、色と粋、恋、妻、献身など、いろいろな愛の形を見せてくれる。
小朝 その噺ぶりの緩急のつけ方が、本当に凄いんです。例えば登場人物が出てきたときに、その人の髪型とか着てるものをポンポンポンと短く描写して、人物を浮かび上らせていらっしゃる。当然のことながら相当に細かく神経が行き届いているのを感じます。
松井 これは大変むずかしかったです。書くときに、私はどっちかというと資格より聴覚をものすごく気にする方なんで、口調の間が悪いと自分で嫌になる。
小朝 ところが、その行き届いた計算をわざと見せないようにしていますようね。的確な描写をした上でゆるくすべきところはゆるくする。これは、落語そのものなんですよ。我々がよく口伝で言われることなんですけど、自分のベストの状態よりも、ちょっと下げないとお客さんはついてこれないんだと。
(『円朝の女』「〈対談〉大名人と時代、女たち 春風亭小朝×松井今朝子」P.309より)
本書の解説対談で、小朝さんは、この物語の美点を的確に押さえている。小朝さんを対談に引っ張り出してきた人たちも凄い。
円朝の名跡は、大名跡ながら誰も襲名していない。小朝さんには円朝襲名の話があったそうだが、残念ながら固辞されたそうだ。
主な登場人物◆
三遊亭円朝:明治を代表する落語家
朝太郎:円朝の倅
おのぶ:円朝の養女
おみや:円朝の養女
せつ:円朝の養女、万年亭亀助の実娘
円八:五厘(芸人につくマネージャー)
千尋:旗本田中某の娘
矢部専次郎:旗本の次男坊
堺屋の旦那:本町三丁目の薬種問屋の主人
長門太夫:吉原の花魁
美代次:吉原仲之町の芸者
浅茅:吉原の花魁
清香:吉原の花魁
お里:幕臣・同朋衆の娘
お幸:柳橋の芸者
松廼家露八:吉原の幇間
伊藤博文
井上馨:伯爵
武子:井上伯爵の奥方
三代目沢村田之助:歌舞伎役者
馬越恭平:日本麦酒
藤浦の旦那:大根河岸のご贔屓
善助:円朝お抱えの車夫
善蔵:円朝お抱えの車夫
為公:善蔵の弟分
物語●「惜身の女」桜田門外の変などで世の中が騒然としていたころ、二十二歳の円朝は、軽子坂の旗本田中家の屋敷に出入りしていた。屋敷には殿様と十七歳の一人娘千尋がいて、円朝の話を面白がっていた。円朝は身分違いの千尋に岡惚れしていたが…。
「玄人の女」円朝が二十五、六の時分。当時のご贔屓の堺屋の旦那と、芸人という身分を偽って吉原の大楼にあがった。そこで、円朝の敵娼になったのは、長門太夫という若い花魁だった…。
「すれ違う女」円朝には朝太郎という息子がいたが、その母親お里は円朝の妻にはならなかった。お里は裕福な幕臣・同朋衆の娘で、当時若手で人気者だった円朝の追っかけをしているうちに深い仲になった…。
「時をつくる女」円朝の女房となったのは、江戸を代表する柳橋芸者のお幸だった。器量よしで料理の腕は玄人はだし、客人や弟子のあしらいはプロ、おまけに銭勘定にも長けたしっかり者で、円朝の両親の面倒をよくみて、一見非の打ち所がなかったが…。
「円朝の娘」円朝には世間に披露した二人の養女のほかに、せつという養女がいた。せつの実の父は、万年亭亀助というその昔は音曲噺で鳴らした名人だったが、借金まみれの末に亡くなった。落語家の頭取で、人助けに熱心な円朝は当時十三、四のせつを家に引き取った…。
目次■其ノ一 惜身の女|其ノ二 玄人の女|其ノ三 すれ違う女|其ノ四 時をつくる女|其ノ五 円朝の娘|対談 春風亭小朝×松井今朝子