疾き雲のごとく
(はやきくものごとく)
伊東潤
(いとうじゅん)
[戦国]
★★★★☆☆
♪『黒南風の海(くろはえのうみ)』で「本屋が選ぶ時代小説大賞」を受賞し、『城を噛ませた男』が直木賞候補に選ばれ、今、もっとも注目される時代小説家の伊東潤さんの最新文庫。
六編の短編小説を収録した短編集だが、いずれも伊勢新九郎(宗瑞、後の北条早雲)が狂言回しとして登場する形式。全体を通して読むと、宗瑞の半生が辿れるという趣向。
同時に宗瑞が登場した時代の関東の様子がビビッドに描かれていて面白い。とくに関東在住の人には関東周辺のなじみの地名がたくさん出てくるので興味が持てるだろう。
作品は「道灌暗殺」というショッキングなタイトルの短編から始まる。江戸城を築いた人として知られる太田道灌のキャラクターと暗殺の原因が描かれている。
伊東作品の魅力の一つは、ミステリータッチの展開力。物語のいたるところに伏線を配置され、ラストのどんでん返しや解決時のカタルシスがなんとも言えずいい。「稀なる人」や「かわらけ」で見せる合戦シーンのダイナミズムは、戦国時代小説を読む醍醐味だ。
「(前略)では最後に問うが、領国統治とはいかなるものか」
道灌の問いかけをあたかも予期していたかのごとく、宗瑞が答えた。
「恕(じょ)の心かと」
それだけ言うと、無言で立ち上がった宗瑞は、庭に通じる障子を開け放った」
大篝火に照らされた庭園が道灌の眼前に現れた、その石庭の白砂の上には、大きな文字が描かれていた。
(中略)
「恕か」
「恕の心をもって民を慈しむことこそ、国を治める者の大義でございましょう」(『疾き雲のごとく』「道灌暗殺」P.23より)
著者は、伊勢新九郎宗瑞が「恕」、つまり「他人の悲しみや苦しみを見て、我慢できずに手を差し延べる、衝動や本能に近い心」を、政治理念としていたと書いている。戦国の時代を考えると、画期的になことであり、この点からも宗瑞(北条早雲)を再評価したいと思う。
物語を読んで、北条早雲への関心がさらに深まった。司馬遼太郎さんの『箱根の坂』も読まねば。
主な登場人物◆
「道灌謀殺」
扇谷上杉定正:扇谷上杉家の当主
太田道灌:扇谷上杉家の家宰
今川義忠:駿河守護
龍王丸:義忠の嫡子で後の今川氏親
北川殿:龍王丸の母
伊勢新九郎盛時:北川殿の兄
小鹿新五郎範満:義忠の従兄弟
梅蔭禅寺の老師:道灌の建長寺での恩師
宗瑞:青年僧
長尾景春:山内上杉氏の家宰白井長尾景信の嫡男
曾我兵庫助祐重:定正の側近
細川政元:管領細川勝元の後継
「守護家の馬丁」
彦三:扇谷上杉定正家の馬丁
龍驤:定正の乗馬
上杉顕定:山内上杉家の当主
鞍作りの職人
薬師
「修善寺の菩薩」
茶々丸:堀越公方足利政知の子
香月:傾城
田中内膳:茶々丸の側近
秋山蔵人:堀越公方の重臣
外山豊前:堀越公方の重臣
早雲:旅の学僧
「箱根山の守護神」
玄舜:大磯高麗寺に住む盲目の仏師
大森氏頼:西相模の支配者
大森藤頼:氏頼の次男
弥次郎:伊勢新九郎盛時・宗瑞の弟
茅丸:玄舜の弟子
「稀なる人」
今川氏親:駿河守護今川義忠の嫡男
上杉朝昌:扇谷上杉朝良の実父
太田資康:扇谷家の重臣。太田道灌の息子
三浦道寸:扇谷家の重臣
上田蔵人入道:扇谷家の重臣
「かわらけ」
妙謙:法厳寺の僧侶
三浦道香:道寸の叔父
三浦義意:道寸の嫡男
物語●「道灌謀殺」
駿河守護・今川義忠の跡目争いで内紛状態に介入すべく、扇谷上杉定正の家宰(執政)をつとめる太田道灌は駿河に赴く。その旅の途中、道灌は恩師と会うために三保の梅蔭禅寺に寄り道をする。そこで、青年僧の宗瑞と出会った…。
「守護家の馬丁」
扇谷上杉定正の馬丁・彦三は主の乗馬・龍驤の気性の荒さに手を焼き、馴致させるために悪戦苦闘をしていた…。
「修善寺の菩薩」
継母と弟を斬り、堀越公方になった足利茶々丸は、傾城(遊女)の香月を連れて、奥修善寺の隠し湯を訪れた。そこで、旅の僧に出会う…。
「箱根山の守護神」
盲目の仏師玄舜は、西相模の支配者大森氏頼に、箱根に祈願寺を建てて、神仏混交像を彫って、箱根山の守護神とするように依頼される…。
「稀なる人」
駿河守護の今川氏親は、叔父の伊勢新九郎宗瑞から援軍要請を受け、扇谷上杉方の武蔵国稲毛郷枡形山に着陣した。和睦を進める意見が多い中で、宗瑞は山内上杉顕定を討つことをことを主張し、駿河(今川)勢と伊豆(宗瑞軍)勢だけで戦うことに…。
「かわらけ」
三浦の武将に寺を焼かれて住職の父を殺された妙謙は、伊勢宗瑞が率いる軍勢の陣僧となった。陣僧として、兵士たちのために経を唱え、死んだ者を供養・埋葬し、負傷者の金創(外科施療)も手伝う。そして、三浦勢が籠城する新井城に降伏開城を勧める使者として派遣されることに…。
目次■道灌謀殺|守護家の馬丁|修善寺の菩薩|箱根山の守護神|稀なる人|かわらけ|解説 末國善己