寺侍 市之丞
(てらざむらいいちのじょう)
千野隆司
(ちのたかし)
[武家]
★★★★
♪主人公の棚橋市之丞は、旗本の次男坊ながら、寺社奉行・阿部正精の命で、ある寺の本堂修復のための資金集めに手を貸すことに…。天真正伝香取神道流の剣の遣い手ながら、商いが繁盛し、銭金が流れて皆の暮らしが生き生きすることがいいことと考えていた。
寺社奉行から派遣される寺侍という設定が面白い。寺社奉行は大名の役職で、定員は四人ないし五人。この役職を経て老中に昇ることもある重要な幕府の役職。文化年間に全国に九十六万もの寺があったという。当時の日本全国の人口が三千万人といわれるから、三十人に一つの寺がある計算になる。ものすごく多くの寺の数だ。
寺社奉行は僧侶や神官、楽人、連歌師、古筆見、囲碁や将棋に係わる者、および徳川家に縁故ある農工商を支配して、その訴訟を裁判する。また、寺社で起こった犯罪の探索、勧進や開帳、富籤興行の許可なども与え、膨大な事務を行っていた。その割りに、時代小説で描かれることが少ない。
物語では、寺の開帳までのプロセスが描かれていて興味深い。開帳は、寺の所有する秘仏を公開することで多くの人を集め、賽銭や寄進を集めることだと思っていたが、集客は秘仏だけでは難しくて、徳川家からの奉納品(葵の紋があればさらにGood!)があれば寺格が上がることや、境内にも人をひきつけるものが必要なことなど。なるほど。
寺の開帳に関する話というと、安藤優一郎さんの著作『観光都市江戸の誕生』を思い出す。千野さんも、ブログ「時代小説の向こう側」で江戸のことも書かれていて、江戸のことをよく調べられている。
『寺侍 市之丞』は、寺社という空間を舞台に使ったことで、面白い時代小説に仕上がっている。シリーズ化されることを期待し、棚橋市之丞の新しい活躍も読んでみたい。
物語●下谷山伏町の大恩寺の境内にある茶店の看板娘のお千代は、錦絵に描かれるほど美貌で、江戸中の評判になり、多くの客が茶店に集ってきた。そのお千代が何者かに殺害され、茶店を訪れる人はいなくなり、大恩寺は一気に寂れた。
四百石の旗本棚橋家の次男坊・市之丞は、母みつがかつて行儀見習いをしていた備後福山藩藩主で、寺社奉行を務める阿部正精の命で、本堂修復のために開帳をしたいと考えている大恩寺に派遣された…。
目次■第一章 錦絵の娘姿/第二章 厨子の秘仏/第三章 葵紋の寄進/第四章 境内の槌音