(ちゃんちゃら)
(あさいまかて)
[市井]
★★★★☆☆
♪元浮浪児で、若き庭師見習いのちゃらを主人公にした痛快な青春時代小説。
文化十三年(一八一六年)、元は葦原ばかりであった荒地に徳川家が幕府を開いて既に二百有余年の時が経ち、江戸の町は世界でも類を見ない庭園都市として殷賑を極めている。
(『ちゃんちゃら』P.11より)
今からはなかなか想像がつかないが、十九世紀の江戸は世界に冠たる庭園都市で、空前の園芸ブームがあったよう。そのせいか、最近、園芸を題材に取り入れた時代小説がいくつか発表されていて、いずれも面白い。朝井さんの前作『花競べ 向島なずな屋繁盛記』も秀作だった。
「ち、違うんです。せっかく晴れて侍になったというのに、某は何をどうしていいやら、途方に暮れている。ちゃらさんの話を聞いてると、己が情けなくなって」
五郎太が、がばと起き上がった。
「い、伊織さんはもと町人なんですかい」
「ええ、某は身上がり侍です」(『ちゃんちゃら』P.111より)
物語には、ちゃらの友人伊織と五郎太が登場する。伊織は生家が質屋で、父が侍の身分に憧れて幕臣の株を買って、息子を侍にする。江戸後期になると、御家人や同心など、一代抱えの幕臣株を買って侍になる町人や百姓が増えていて、それを身上がりと呼ぶ。
ちゃらは独り、取り残された。
石くれと木の根の残骸が剥き出しになった裸地に、ざらついた土埃が吹き上がる。ここに庭を造るためにいかほどの木々を抜き、どれほどの命を踏みつけたのだろう。人は自らだけに飽き足らず、生き物や木々にまで身分をつけて蔑視するのだ。身分の低い木々は命ある物ですらない。
じゃあ俺は、俺はいったい、何者なんだ。
身分どころか本当の名も、どこで誰と誰の間に生まれたのかもわからない。はっきりしているのは、勝手な真似をして恩ある家に禍を持ち込んでいる。それだけだ。そして大事な物は自分が守ると大口を叩きながら、何もできぬ腰抜けだ。
(『ちゃんちゃら』P.201より)
主人公ちゃらの内面からの悲痛な叫び。心情を吐露する場面に遭遇し、この青春小説がたまらなく愛しく思える。無力感を味わい、挫折を経験して、成長する主人公。
「そんな辛い辛い郷里の風景が、今はこんなにも懐かしい。ちゃらさん、生きてるってええもんですな。ほして、死ぬのもええもんやと思いますわ。皆、死ぬために生きてる。いつか死ねるから、生きてられる。この世におるのもあと少しやと思うたら、どんなに辛かったことも懐かしいもんになる」
(『ちゃんちゃら』P.221より)
ちゃらに風変わりな作庭を依頼する老夫婦が語る言葉だが、人生を懸命に生きてきた者が口にできる、素敵な言葉だなあ。
さて、この作品では、江戸情緒の中で、青春小説のエッセンスが堪能できるとともに、、物語はちゃらのライバルになる、嵯峨流正法の作庭家白楊のキャラクターが際立っていて、目が離せない疾走感のある展開で、楽しめるエンターテインメント時代小説となっている。
主な登場人物◆
辰蔵:庭師で、植辰の親方
お百合:辰蔵の娘、十七歳
ちゃんちゃら:庭師
玄林:庭師で、穴太衆の末裔
福助:庭師で、辰蔵が京での修業時代の仲間
是沢与右衛門:元北町奉行所の与力で、「小川町のご隠居」
佐伯伊織:与右衛門の義理の甥
五郎太:猪牙舟の船頭
佐賀町の船宿・柴惣
妙青尼:月光寺の尼僧
伊勢屋の爺さんと婆さん:団子坂の団子屋
おみつ:お百合の幼馴染みで万年青屋の娘
角兵衛:日本橋の薬種商瑞賢堂の主人
お留都:角兵衛の娘
彦次郎:瑞賢堂の番頭
お千:根岸の料理屋琉亭の女将
白楊:嵯峨流正法の家元
おこう:流行り病の女
長吉:藪下道の隠居
お咲:長吉の女房
お英:長吉とお咲の娘
長吉郎:深川の木場の材木商大和屋の主人
美濃屋:白楊の門人
弓削善兵衛:京の庭師。植善の九代目当主
物語●茶店の握り飯を掠め取り、神社の樟の天辺に上って飯にかぶりついていた浮浪児のちゃらは、江戸・千駄木町の庭師植辰の辰蔵親方に、「お前ぇ、空仕事をしてみろ」と木の下から声を掛けられて、以来十年、植辰で庭師の修業を続けてきた…。
植辰は、辰蔵の娘で家事を切り盛りする百合、石組みが得意の玄林、京で辰蔵の修業仲間だった福助という庭師がいて、確かな技で作庭を行っていた。
ある日、日本橋の薬種商瑞賢堂の主人角兵衛から、江戸じゅうに響き渡るような名庭で、千両の庭を作るように注文があったことから、とんでもない厄介事に巻き込まれていく…。
目次■序章 緑摘み/第一章 千両の庭/第二章 南蛮好みの庭/第三章 古里の庭/第四章 祈りの庭/第五章 名残りの庭/終章 空仕事/解説 小梛治宣
カバーデザイン:スージー&ジョンソン
解説:小梛治宣
時代:文化十三年(1816)
場所:小川町、千駄木町、日本橋石町新道、坂下町、永代橋東詰、吉祥寺裏、神田川べり、竹屋の渡し場、根岸、日光御成街道、ほか
(講談社・講談社文庫・743円・2012/12/14・第1刷・381P)
入手日:2012/12/15
読破日:2013/01/26