『幕府密命弁財船・疾渡丸(一) 那珂湊 船出の刻』|早川隆|中公文庫
早川隆さんの文庫書き下ろし時代小説、『幕府密命弁財船・疾渡丸(一) 那珂湊 船出の刻』(中公文庫)ご紹介します。
著者は、2020年に「礫」でアルファポリス第6回歴史・時代小説大賞特別賞受賞し、2022年、同作を改題した『敵は家康』でデビューしました。本書は、期待の新星が初めて挑んだ文庫書き下ろし時代小説です。
時は慶安。海運の活性化により日本の経済は発展を遂げる一方、各地の湊では犯罪や謀反の兆しが見られるようになる。その最中、水戸藩那珂湊で密かに造られし弁財船。名は疾渡丸。この船には、商船のふりをして諸国を旅しながら、湊の平和を守れとの密命が幕府より下されていた――! 新たな痛快時代小説シリーズ、ここに開幕。
(『幕府密命弁財船・疾渡丸(一) 那珂湊 船出の刻』カバー裏の紹介文より)
由井正雪の乱(慶安の変)の翌年、慶安五年(1652)。
開府以来、幕府は徳川家に害を及ぼす可能性がある有力大名や朝廷などを徹底的に排除してきました。その結果、大乱の脅威は取り除かれましたが、多数の浪人を生み出し、社会秩序を乱すこととなりました。それを反省し、幕府は考えを少し改めます。
「へええ、そりゃ、ずいぶんな変わりようだね」
「だが、何が起こっているか、あるいは起ころうとしているのか、そのことだけはつねに弁えておかないといけねえ。天下泰平にぬくぬくとして、ある日気づいたら大乱になっていたとなっちゃ、元も子もねえからな」
「そりゃ、そうだ」
「だから、平素からそれとなく世情や民情、そして各地の大名たちの動向を見回る必要がある。陸地には隠し目付や忍びどもがいるが、特に大乱が起こる予兆は、まず湊に顕れるものなんだ」(『幕府密命弁財船・疾渡丸(一) 那珂湊 船出の刻』 P.37より)
幕府の隠密であり、船の建造を依頼した仁平は、那珂湊一の船大工・岩吉に、商船の一方で密命を帯びた弁財船「疾渡丸」の話をします。
仁平の依頼を受けた岩吉は、これまでの経験と知識を総動員し、着脱式の帆柱など先進的な機能を持つこの世で唯一の船を作り上げ、「疾渡丸(はやとまる)」と名付けました。
疾渡丸の船頭(船長)には、岩吉の息子で経験豊富な人情家の虎之助が務め、仁平は楫取(副船長)として、配下の三太郎と蝶介と共に乗り組むことが決定されました。水夫(船乗り)は九兵衛が率いる五人組(鬼丸、笹丸、三木助、儀助)に加え、江戸からやってきた甚左衛門が岩吉の推薦で加わります。
那珂湊で岩吉の船造りを手伝っていた孤児の少年・鉄平は、煮売屋で虎之助に「疾渡丸に乗せてくれ」と懇願します。
「なんでえ、おまえは岩吉の子分だろ? 船大工の見習いなんかが船に乗れるわけがなかろう。特にこの船は特別な船なんだ、黙って作業場に帰れ。ああ、そうだ、ここの勘定はあとでな。あとで返す」
「おいらは、おいらは、船大工じゃねえ、船乗りになりたいんだ! 岩吉親分にかけあったが駄目だった。決定権は船頭にあると言ってた。だからこの使いに来たんだ。おいらのおっとうも船乗りで、江戸渡りをしようとして死んだんだ。だから、おいらも海に出て、あの灘を組み伏せて、仇を取りたいんだ」
(『幕府密命弁財船・疾渡丸(一) 那珂湊 船出の刻』 P.91より)
さらに、仁平の要望により、鳩を操る技を持つ双子の姉妹と23羽の伝書鳩も疾渡丸に乗り組むことになります。
そんな中、那珂湊一帯の港湾荷役を取り仕切る坂本屋嘉兵衛のもとに、難破船の知らせが届き……。
本書では、那珂湊での疾渡丸の出航から、次の目的地である銚子湊での活躍までの2話が収められています。
勧善懲悪の痛快時代小説にはさまざまなパターンがありますが、船とその乗組員が主人公というのは珍しいと思います。テレビドラマシリーズの「サンダーバード」や「スタートレック」のような設定を思い出させるものです。
船の上では厳しい九兵衛、無口で元力士の鬼丸、俊敏な三木助、器用な儀助、そして女ながら誰にも負けない笹丸といった個性的な水主たちが登場し、物語をさらに面白くしています。
各地の湊の風情や美味に加え、捕物が描かれ、読みどころも多く、爽快感あふれる海洋小説の魅力を存分に堪能できます。注目の作家による堂々たる船出に、ぜひ注目してください。
疾渡丸の次なる航海はいかに。
幕府密命弁財船・疾渡丸(一) 那珂湊 船出の刻
早川隆
中央公論新社・中公文庫
2024年8月25日初版発行
カバー画:山本祥子
カバーデザイン:bookwall
●目次
那珂湊 船出の刻
銚子湊 巾着切
本文253ページ
文庫書き下ろし
■今回取り上げた本