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幕末から明治へ、暗殺から始まった山尾庸三と伊藤博文の青春

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『蛍の光 長州藩士維新血風録』|阿野冠|徳間書店

蛍の光 長州藩士維新血風録阿野冠(あのかん)さんの歴史小説、『蛍の光 長州藩士維新血風録』(徳間書店)は、第13回日本歴史時代作家協会賞新人賞の候補作に選ばれました。

「長州五傑(ファイブ)」は、長州出身で、幕末にイギリス留学を果たしたの五人の若者、井上聞多(馨)、伊藤俊輔(博文)、遠藤謹助、野村弥吉(井上勝)、山尾庸三を呼びます。留学から先に帰国した伊藤や井上馨は政治家として大成し、残りの三人はさらに勉学を続け、イギリスで学んだことを生かして、井上勝は「鉄道の父」、遠藤は「造幣の父」、山尾は「工学の父」と呼ばれる、明治政府を担う中核人材となりました。

本書は、五人のうち、正式な藩士身分ではなく足軽身分だった二人、山尾庸三と伊藤俊輔に光を当てて、渡航前後の物語を綴っています。
長州の革新的な人材登用には目を見張るものがあります。

高杉晋作の指揮のもと、英国公使館を焼き討ちし、尊攘の機運高まる長州藩。一味に加わった山尾庸三は、書生部屋で同室の伊藤俊輔とともに、孝明天皇の退位をと説く幕府の御用学者・塙次郎を暗殺する。
だが、断末魔の形相が夜ごとよみがえり、気鬱に陥る山尾。
最高幹部の桂小五郎の後押しで、のちに「長州五傑(ファイブ)」と呼ばれる五人ひとりとしてイギリスへ藩費留学することに。その中には相棒の伊藤もいた。
山尾の任務は「工業立国」の基盤を学ぶこと。だが彼の裡には、己が殺めた塙次郎の遺志である障害者政策があった――。

(『蛍の光 長州藩士維新血風録』カバー帯の内容紹介より)

文久二年(1863)十二月。
十日前に品川御殿山の英国公使館の焼き討ちに加わった伊藤俊輔と山尾庸三は、その夜、塙次郎を闇討ちするため、塙邸近くの九段坂で待ち伏せをしていました。
次郎は、盲目の国学者として名高い塙保己一の息子で、幕府の御用役人。開明派を扇動して、孝明天皇を退位させようと図っているという風聞がありました。

「わしにゃ無理じゃ。敵の館に焼き玉を投げこめても、人斬りはできん」
「おれが殺る。事を見届けるだけでいい」
「そげか。ならばこの場は山尾庸三なる烈士にまかせるけぇ」
 安堵した俊輔が、反っ歯をむきだして笑った。

(『蛍の光 長州藩士維新血風録』P.6より)

武士と認められ志士として名を売るための決行でしたが、塙次郎と護衛の武士を殺すと、庸三はくぐもった声で言いました。

「今夜のことは二人だけの秘密にしよう。俊輔、生涯かけてだれにも洩らすなよ。『塙次郎殺し』は二人で墓場まで持っていこう」
「おう、異存はないけぇ」
 いつものようにわしは笑ってうなずいた。

(『蛍の光 長州藩士維新血風録』P.19より)

この事件を契機に、生真面目な庸三は激しく燃え上がっていた闘魂は霧消し、腹底から悲哀の念が湧き上がってきてました。
気鬱に取りつかれ何をやっても気分が晴れず、たえずめまいや頭痛に襲われるようになり、夜ごと見る夢はいつも悪夢に。

一方、松下村塾出身の俊輔にとっては、御用学者は師の吉田松陰先生を刑死に追い込んだ敵であり、天誅を成し遂げた思いこそあれ、悔恨の情などみじんもありません。

そんな二人の凶行を知ってか知らずか、高杉晋作は新たな出動命令を発します。
白昼堂々、小塚原の墓所に埋葬された吉田松陰先生の遺体を掘り起こして、長州藩が所有する若林の土地に改葬すると……。

若林の地は、その後、墓だけではなく、吉田松陰先生を祭神として祀る松陰神社が建立されています。

瀬戸内海の周防灘で育った庸三は、子どものころから海外渡航を夢見ていて、二年前には幕府の『黒竜江視察』に加わり、沿岸防備の重要性を痛感していました。

気鬱から回復した庸三は、品川から神戸への航海をともにした野村弥吉に二人で欧米へ渡り一緒に勉強しないか、と誘います。
最高幹部の桂小五郎から、徳川幕府を倒した後の国づくりの話を聞いて以来、狭い島国の日本が世界と渡り合うには工業立国しかないと考え、そのためには二人が藩費留学生として欧米にわたり、工業品や最新の機械を日本に持って帰り、技術を習得して自らの手で戦艦などを造り出すのだと。
その話を志道聞多(井上聞多)が葦簀の外で聞き、海外渡航には金がかかるが、藩主と差しで話ができるのは小姓をつとめていた僕だから、自分も仲間に入れろと言いました。

イギリス行きについては、最高幹部の桂小五郎も庸三の背中を押してくれました。

「おれみたいな者を、なぜそんなに面倒みてくれるんですか」
 ずっと疑問に思っていたことを口にした。
 桂さんが何でもなさそうに言った。
「別にひいきをしているわけじゃない。君とは地縁も血縁もないしね」
「だったら、どうして……」
「それは、君が松下村塾の塾生ではないからだよ」

(『蛍の光 長州藩士維新血風録』P.128より)

桂は、長州は長門と周防の二国で成り立っているが、これまで長門の者ばかりが上位に立って藩政を仕切ってきたと言い、防長二国の平衡を保つことが重要と。そして、「先進国で工業を学び、生きた機械になって日本にもどって」くるという庸三に、君の使命はそれで、とことん生き抜くことが使命だとも。
危機管理能力に優れ、バランス感覚に秀でた桂の面目躍如といったところ。

海外渡航には、「志士として日本に残る」と言って一度は誘いを断った俊輔と、大英帝国の金融政策に興味があるという遠藤謹助が加わり……。

物語は、庸三と俊輔が一人称で交互に語るスタイルで、それぞれの目を通して幕末が活写されていきます。彼らの目を通して描かれる、幕末の長州藩をけん引した風雲児高杉晋作や後世「逃げの小五郎」と言われ抜群の危険察知能力を有した桂小五郎、庸三の郷里の先輩で江戸での養い親代わりの村田蔵六らの素顔も面白く、引き込まれました。

塙次郎の暗殺から始まった物語は、「血風録」のサブタイトルにあるよう、血なまぐさいものになるかと思いきや、「長州五傑」の若者たちの青春群像劇になっていきます。
生き苦しさにもがいたり、目の前の色欲に溺れたりと、死が日常にある今を刹那に生きながらも、明日への希望を持ち続ける青年たちの姿に、青春小説の甘酸っぱいような爽快感を覚えます。

とことん生き抜くことを使命に己が殺めた塙次郎の遺志である障害者政策を受け継いだ庸三と、志士は死ぬべき時に死ぬという松陰門下生としての矜持を胸に生きた伊藤博文。
かつて同じ書生部屋で暮らし、志士として成り上がることを目指した二人の人間ドラマに胸が震えました。

蛍の光 長州藩士維新血風録

阿野冠
徳間書店
2024年5月31日初刷

装画:永井秀樹
装幀:鈴木俊文(ムシカゴグラフィクス)

目次
第一章 冬の蛍
第二章 密偵の篠笛
第三章 祇園の夜
第四章 幻の奇兵隊
第五章 将軍の首
第六章 夕陽の波止場
第七章 万里の波濤
第八章 グラスゴーの歌
第九章 惜春の情
終章 暗殺の森

本文356ページ

書き下ろし

■今回取り上げた本

阿野冠|時代小説ガイド
阿野冠|あのかん|時代小説・作家 1993年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。 2009年、初の単行本『ジョニー・ゲップを探して』を刊行。 2011年、阿野冠名義で『花丸リンネの推理』を刊行。 2024年、第13回日本歴史時代作家協会...