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ここは人生の雨宿りをする場所。女たちの縁切寺、徳川満徳寺

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『虹を待つ 駆け込み寺の女たち』|遠藤彩見|集英社文庫

虹を待つ 駆け込み寺の女たち江戸の縁切寺といえば、鎌倉の東慶寺が有名で、いろいろな作家によって、時代小説でも何度も描かれています。

遠藤彩見さんの初の時代小説、『虹を待つ 駆け込み寺の女たち』(集英社文庫)は、もうひとつの縁切寺、上州満徳寺を舞台にした連作形式の短編集です。

妻から離縁の申し立てをするには、縁切寺に駆け込むしかない――。夫の浮気に悩み、この世にたった二つの縁切寺の一つ、上州満徳寺へやってきたなつ。だが、そこにいたのは夫の情女(いろ)で!? 憤るなつに、美しき尼僧・慈白は、ここで助け合って暮らすように言い……。事情を抱えた女たちは、笑い泣き、時に励ましあいながら、人生の“雨宿り”の場で何を見つけるのか。迷えるあなたへ贈る連作時代小説。

(『虹を待つ 駆け込み寺の女たち』カバー裏の紹介文より)

数えで十九のなつは、夫倉五郎の浮気性に悩み、満徳寺に駆け込みました。
ところが、寺男について入った寺の境内で、池のほとりでしゃがみ、草取りをしている姉さん被りの女の顔を見て、なつは息を呑みました。

足を止めたなつに寺男が「どうした」と呼びかけると、なつは女をまっすぐに指差し、「あの女、おはるは、亭主の情女でございます」と怒りにまかせて言い放ちます。

「わたしに、この人と一緒に暮らせと言うのですか」
「ええ」
 慈白が観音像のような笑みを浮かべ、顔をひきつらせたなつにさらりと言った。
「お二人はいわば、雨に降られて同じ軒下に雨宿りに駆け込んだようなもの。雨が上がるまでお互い助け合って暮らしなさい」
「亭主の情女と、どう助け合って暮らせと……!」
「嫌なら、訴えを取り下げて家にお帰りなさい」

(『虹を待つ 駆け込み寺の女たち』 P.26より)

そんななつに、尼住職の慈白は、はると一緒に助け合って暮らすように言い渡します。

そのころ、寺にはなつとはるのほかに、二人の駆け込み女が滞在していました。

ふさは満徳寺に近い商家の妻で、姑の嫁いびりに耐えかねて満徳寺に駆け込み、もう六月になると。
喜久は足利にある薬問屋の若奥様で、夫の遊興三昧に耐えかねて、ひと月前に駆け込んできました。

「話すは、話す……」
「そうそう。いろいろ抱えたまんまじゃ重たくて、歩くのがしんどいでしょ? だから遠慮しないで。わたしたちは皆同じ。駆け込み女なんだから」
 じんと目頭が熱くなった。
 心に積もった重石は一人では取り除けない。けれどここには石の重さや冷たさをうとむことなく、力をかしてくれる人たちがいる。

(『虹を待つ 駆け込み寺の女たち』 P.36より)

なつは、ふさから慈白が教えてくれた「話すははなす」の話を聞いて、少しだけ心が軽くなってきました。
はるを忌み嫌い、話すことも避けていたなつでしたが、台所の作務ではると一緒になり、倉五郎の話をすると、そこには自分の知らない夫の別の顔が……。(「妻の鏡」より)

本書は連作形式で全五話を収録しています。

「小姑の根っこ」に登場するのは、婚家に出戻ってきたシングルマザーの義姉に悩まされて家を出たしず。娘を実家に預けて覚悟の駆け込みでしたが、その寺前に義姉がやってきて……。

「箱入り娘の呪い」は、下野の大地主の娘で、江戸の米問屋に嫁いだ箱入り娘の宇多が描かれています。
宇多は体がむくみがちになり、時折手足がしびれるようになって、常に体が重だるく、寝込みがちになりました。そのうえ、「見ておるぞ」という知らない男の声に悩まされ、すべてが婚家のはかりごとだと思うようになり……。

「継母の呼び名」の話では、満徳寺の寺役人添田万太郎が重き役割を演じます。
添田は慎重で、なかなか離縁を認めません。駆け込み女が亭主と何とか帰縁できないものかと最後の最後まで粘ります。そのことから、代々の駆け込み女が泣かされ、陰で「男前の閻魔様」と呼ばれていました。
添田の友人の妻、勢が駆け込んできて……。

「駆け込み女たちの芯」には、江戸の町名主の妻、紋が描かれています。
夫の暴力に耐えかねて家を飛び出して満徳寺に駆け込んだ紋には、お腹に子がいて……。
満徳寺では、妻の言い分だけでなく、寺役場から呼状を届けて、夫を呼び出して夫側の事情も確かめたうえで、夫側に非があることを明らかにして、夫に離縁をするように説得しました。
夫への説得が不調に終わり離縁を承諾しない場合は、離縁交渉を江戸の寺社奉行にゆだねることも。

いずれにしても、徳川家の庇護を受けた縁切寺での離縁交渉は重いものになっていました。「駆け込み女たちの芯」では、妻側と夫側のそれぞれの言い分が食い違い、ミステリータッチのスリリングな物語展開に引き込まれます。

主人公の慈白は、墨色に洗いざらした作務衣をきていても、ふわりと紗をまとっているようなつやがあり、なつの母との姉とも見て取れる年齢の読めない女性。いつも微笑んで柔和な表情をしていますが、人間通でもあり、魅力的な人です。
「人生の雨宿り」や「話すは放す」、「草をちぎり取っても、根が残っていればまた同じ草が生えます」など、徳川の姫君とのうわさがある慈白のことばとすべてを見通すような振る舞いに胸を打たれます。

夫の浮気や暴力に苦しめられたり、姑や小姑など婚家との関係に悩む女たち、現代にも相通じる重いテーマを扱いながら、爽やかな読み味の連作時代小説。
雨が上がるまで雨宿りをするように、ほんとうに苦しいときは、一時的にそこから逃れることも大切であることを気づかせてくれます。
女性に限らず、人間関係にストレスを感じ、心が疲れたときに読んでほしい、おすすめの一冊です。

※物語の中で慈白が、「(前略)七十年ほど前から今のような離縁、帰縁に関わるお役目を頂戴し、徳川様にお護りいただいております」(P.22)とあることから、寺の由緒が整理・確定した元禄時代から70年後の宝暦年間(1751-1764)が作品に描かれている時代と思われます。ウイキペディアによれば四世住職に慈白上人(延享元年~)の名もありました。

虹を待つ 駆け込み寺の女たち

遠藤彩見
集英社・集英社文庫
2024年4月25日第1刷

カバーデザイン:高橋健二(テラエンジン)
イラストレーション:合田里美

●目次
第一話 妻の鏡
第二話 小姑の根っこ
第三話 箱入り娘の呪い
第四話 継母の呼び名
最終話 駆け込み女たちの芯
解説 青木千恵

本文379ページ

初出「web集英社文庫」
第一話 妻の鏡  2022年8月~9月
第二話 小姑の根っこ  2022年10月~11月
第三話 箱入り娘の呪い  2022年12月~2023年1月
第四話 継母の呼び名  2023年2月~3月
最終話 駆け込み女たちの芯  2023年4月~5月

■今回紹介した本

遠藤彩見|時代小説ガイド
遠藤彩見|えんどうさえみ|作家 東京都生まれ。 1996年、脚本家デビュー。 2013年、『給食のおにいさん』で作家デビュー。シリーズ化された同作の他に、「キッチン・ブルー」「イメコン」「バー極楽」などの著書がある。 2024年、『虹を待つ...