『ひとつ舟 鳴神黒衣後見録』|佐倉ユミ|祥伝社文庫
佐倉ユミさんの文庫書き下ろし時代小説、『ひとつ舟 鳴神黒衣後見録(なるかみくろごこうけんろく)』(祥伝社文庫)は、『螢と鶯』に続く「鳴神黒衣後見録」シリーズの第2弾です。
江戸三座に追いつこうと意気込む鳴神座を舞台に、芝居にすべてを捧げる若手役者と裏方を描く、青春群像小説。
主人公は放蕩の末に勘当されて、将来はもちろん住む所もすべてを失った男、狂言作者の石川松鶴に拾われ、畠中狸八という名を与えられ、鳴神座の狂言作者の見習いとなり、一座で勉強と雑用をやっています。
元は大店の長子だが道を踏み外し狂言作者見習いとなった狸八は、芝居一座鳴神座に少しずつ馴染んでいく。平家物語の一節、那須与一が扇を射る場面を駆け出しの役者たちで演ずるにあたり、狸八が黒衣を務めることに。矢を受けて高々と舞う扇を演出する役目だ。しかし初稽古に思わぬ落とし穴が……。失態を犯し針の筵の狸八は、再び己の居場所を作るべく奮闘する。
(『ひとつ舟 鳴神黒衣後見録』カバー裏の紹介文より)
狸八が鳴神座に来てから半年が過ぎ、先月の夏芝居では人手不足のために黒衣をつとめましたが、雑用で日々忙しくしていました。
雑用の合間には、三番手狂言作者の最上左馬之助から、狂言作者部屋のいろはを教わります。
「うちの脇狂言は何だ。言ってみな」
「はい。『与一千金扇的』ですね」
「そうだ」と、左馬之助は頷いた。
(『ひとつ舟 鳴神黒衣後見録』 P.20より)
脇狂言とは、朝一番の三番叟に続いて演じられる狂言で、ほかの幕と比べて短く、駆け出しの若手役者たちだけで演じられます。
『与一千金扇的』は、平家物語の屋島の戦いに題材をとっています。弓の名手である那須与一を主役に据え、花道から本舞台に向けて矢を放ち、海に見立てられた舞台の船の上にある扇の的をい落とすという話で、矢を的に当てることで興行が当たるようにと願をかけています。
芝居では、与一役の役者が何もつかえていない弓を引くと、囃子方が琵琶を引き、つつけて続けて矢が当たったと思われるために太鼓を一つ叩いて、劇場に長く響かせます。そして、黒衣が扇を舞わせるように落とします。
若手役者の登竜門である脇狂言で、与一を演じるのは伸び盛りの若手の日高虎丸です。
一方、黒衣は狸八がすることになりました。
初めての黒衣で、立女形と二人で舞台に立ち、千穐楽まで全うできた狸八は、そのときの経験と今回は脇狂言ということで、変な自信を持っていました。
「てめえ、どういうつもりだ!」
虎丸の顔は真っ赤だった。
「いや、その」
「なんだあの扇は! 俺の芝居を台無しにする気か、てめぇ!」
「ひっ、す、すみません!」(『ひとつ舟 鳴神黒衣後見録』 P.57より)
三度の通し稽古と弓で射る場面の稽古で、虎丸との間合いは会わず、扇の動きもうまくいかないという、大きなしくじりをした狸八に、虎丸は厳しく詰め寄りました。
若手役者の銀之丞の取りなしでその場はおさまったものの、己の役目を果たせず、情けなさと悔しさで狸八の胸は痛み、眠ることもできなくなってしまいました……。
本書では、芝居小屋鳴神座の人間模様が活写されています。
若手役者には若手役者の、黒衣には黒衣の。それぞれの苦労や悩み、矜持や喜びが描かれていて、役者と裏方が寄せ集まって、芝居一座が構成されるように、芝居人たちの群像劇が楽しめます。
鳴神座の舞台に新たにせりとすっぽんがつくられて、それらを操作する裏方の奈落番という役目を描いた話もジーンと来ました。
読んでるうちに、鳴神座の面々に共感し、いっしょに舞台を作り上げていくような気さえしてきて、何ともしびれる物語です。
歌舞伎の世界を描いた芸道小説では、物語の中で演じられる演目も重要です。著者のオリジナル作の「月夜之萩」も実際に上演されるところを見たいなあと思いました。
ひとつ舟 鳴神黒衣後見録
佐倉ユミ
祥伝社 祥伝社文庫
2024年4月20日初版第1刷発行
カバーデザイン:芦澤泰偉
カバーイラスト:スカイエマ
●目次
一、虎と狸
二、当たれ当たれ
三、烏の子
四、奈落の底の男
五、月夜之萩
六、漁火
本文322ページ
文庫書き下ろし
■今回取り上げた本