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十一年間眠っていた武田信玄が関ヶ原前に覚醒、家康と対決

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『紺碧の将』|高久多樂|コンパス・ポイント

紺碧の将最近、時代小説のイノベーションということをよく考えます。今のままでは、遠からず読者が広がらずにマーケットが縮小していくのではないかという危機感も持っています。

そんなこともあって、歴史時代小説の新しい書き手にはとても興味があります。
イノベーションを起こしてくれないかと、密かに期待もしています。

本書のあとがきによると、著者の高久多樂さんは「齢六十三にしてはじめて歴史小説をかくことになった」と記しています。そして、五十年以上の時を経て、司馬遼太郎さんの『関ヶ原』を再読し、面白かったものの、三成と家康では人物の度量があまりに違いすぎて、端から勝負にならないのではないかと思ったと執筆の動機を明かしています。

続けて、家康に対抗できるのは、武田信玄しかいない、関ヶ原のころ、すでに信玄は生きていないが、小説であればいろいろな方法が使えるだろうからと思い、本書の構想が始まったと述懐されています。

『紺碧の将』(コンパス・ポイント)は、約750ページという、本三冊分のボリュームをもつ大長編歴史小説です。

比叡山焼き討ちで家族を失った父子と上杉景勝が選んだ生き方とは?

「得か損か」「合理的か非合理か」「便利か不便か」「早いか遅いか」を超えた生き方を問う

東洋と西洋の思想が混じり合う、新しい歴史小説

(『紺碧の将』カバー裏帯の説明文より)

元亀二年(1571)八月。
比叡山の雑事全般を取り仕切る下級の僧、山徒公人(さんとくにん)の由本雄源(よしもとゆうげん)は、坂本の里坊に居を構え、妻のゆりと十歳の小太郎、四歳のみつの二人の子と暮らしていました。

ところが、比叡山と敵対する織田信長の軍によって、坂本の町は焼き払われ、雄源は家族を連れて比叡山に逃げました。逃げる途中、妻とみつがそれぞれ信長配下の明智軍に襲われて、軍兵が放った矢で死んでしまいました。

朝廷と深いつながりがあり、民の信仰を集める比叡山を焼き討ちにした、明智軍の追跡を逃れて京の大原にたどり着いた雄源と小太郎は、随風と名乗る僧の手引きで甲斐へ向かい、武田信玄に庇護を求めました。

随風は、信玄に比叡山の焼き討ちの仔細を語ったのちに、信長を懲らしめるために、上洛を促します。

「信長はたしかに前代未聞のことをなしたが、それだけをもってわしが大軍を発する理由にはならぬ。わしはやつのやったことの尻拭いはせぬ。信長は時代に要請されて生まれてきたのだ。やつは織田信長という人間を演じているにすぎない。信長だけが悪いのではなく、信長のような人間を生んでしまった世の中が悪いのだ。であれば、わしが信長を罰するというのは筋違いというものであろう。そうは思わぬか」

(『紺碧の将』P.35より)

理知的で現代人のような発想をもつ信玄が魅力的で、物語に引き込まれていきます。

愛する妻と娘を亡くした雄源は悔恨から立ち直り、二人を供養し、いつの日か二人に会うために山に籠り、修行を始めました。

一方、母と妹の恨みを晴らすために、武士になって信長を殺したいという小太郎は、下足番として、信玄の重臣・山県昌景に仕えることになりました。
昌景によって才を見出された小太郎はやがて信玄の小姓に抜擢されます。

ある日、小太郎は信玄に素朴な疑問を呈しました。
なにゆえ、甲斐国にふさわしい大きな城を造らないのかと。

信玄は、甲斐国が周囲を高い山々に囲まれた自然の要害であることに加えて、戦さは出張ってするもので、自領で戦さをすれば民が困ると。

「敵方の領内で戦っても同じことが言えるのではないでしょうか。わが武田が勝てば、敵方の領地に住む人たちも武田の民となります。すると、いずれは武田の民になる者を苦しめることにはなりませぬか」

(『紺碧の将』P.79より)

信玄はしばらく後に「そこまで考えがおよばなんだ」と呟きました。

武田信玄は、基本的には冷徹な人間ですが、いったん人物を見きわめればとことん信じ、戦さにおいて無用な犠牲を厭う、そのため軍略と謀略を駆使します。

元亀四年(1573)二月、家康の本国三河国へ侵攻を開始した信玄でしたが、四月に容態が急変して、永い眠りにつく前に、医師の伴人斎と小太郎を呼び出しました。

「慰めの言葉は要らぬ。おまえに来てもらったのは、大事な用を言いつけるためだ。これから人斎がわしを眠らせる。眠っている間にわしの体の悪いところを治療するというのだ」
 そこで信玄は息を整えた。
「ふたたび目が覚めたとき、おまえが枕元にいることを望む」
 小太郎は言われたことの意味を肚に落としこみ、はっきりと答えた。
「はい。かならず」

(『紺碧の将』P.125より)

本書が面白くて、途中で止められなくなるのは、信玄が永い眠りについてからです。信玄が仮死状態の体に医師が施術して関ヶ原まで命を長らえるというのは、もちろん、フィクションですが、歴史的な出来事を押さえながら、リアリティのあるストーリーとして展開していき、次はどうなるのだろうかとワクワクしていきます。

十一年後の天正十二年(1584)三月、信玄六十四歳、小太郎は二十三歳のとき、信玄が仮死状態から覚醒し、動乱の中で抜群の存在感を見せてくれます。
秀吉の後の天下を狙う家康の前に立ちはだかる信玄。真剣で斬りつけるような鋭い問答で、家康の本音と目指す平和の国造りとその後の統治まで本音を引き出していく場面では緊張感がみなぎり、カタルシスさえ感じました。

信玄の眼を通じて、家康の平和国家観が浮き彫りにされ、そこには老獪な狸親父のイメージはなく、一流の武人であるだけでなく卓越した政治家であり、当代一の知識人であることに改めて気づかされます。

著者は、歴史の流れを変えずに、信玄が死の十一年後に復活するという、荒唐無稽ともいえる虚構を物語の柱に据えながら、戦国好きも楽しめる物語になっています。
これが歴史小説が初めてとは思えない、明快で安定した文体で、750ページ近い大長編をすらすらと読ませます。

信玄と家康に加え、上杉景勝も登場するほか、オリジナル人物の雄源と小太郎の父子の物語が挿入されていて、庶民の側からも、平和な時代が望まれる時代的背景が明らかになっていきます。

タイトルの『紺碧の将』とは、戦国武将をイメージによって色分けしたら、武田信玄も徳川家康も揃って、紺碧だということから。ちなみに織田信長は赤で、豊臣秀吉は茶色(天下を取るまでは黄色)だそうです。

歴史小説には似つかわしくない装画とあいまって、著者の感性が光っています。本書は、歴史小説の世界に一石を投じ、イノベーションをもたらす可能性を秘めたすごい作品だと思いました。

※著者高久多樂さんの「高」は正しくは、はしごだかの「髙」ですが、機種依存文字のため、「高」を使っています。

紺碧の将

高久多樂
コンパス・ポイント
2024年2月4日初版第1刷発行

装画:若林奮
ブックデザイン:高久多樂

●目次
序章 比叡山からの逃走
第一章 信玄と家康の攻防
第二章 長い眠りへ
第三章 眠る信玄、越後へ
第四章 信玄の目覚め
第五章 家康の江戸入府
第六章 もうひとりの秀吉
第七章 うごめく天下
第八章 信玄と家康の問答
第九章 天下分け目の大会戦
終章

本文747ページ

書き下ろし。

■今回紹介した本

紺碧の将
コンパス・ポイント
¥2,650(2024/11/23 14:36時点)



高久多樂|時代小説ガイド
高久多樂|たかくたらく(髙久多樂)|作家 1959年、栃木県生まれ。 1987年、株式会社コンパス・ポイント設立。 著者のホームページ・SNS →高久多樂の本(Amazonより) ⇒時代小説作家リストへ戻る