『大衆文芸』|一般財団法人新鷹会
「新鷹会」所属の歴史小説家の平野周(ひらのしゅう)さんから、編輯を担当された季刊の会報誌『大衆文芸』(一般財団法人新鷹会)の「令和五年夏・秋の号」と「令和五年冬の号」「令和元年夏の号」を見本誌としてご恵贈いただきました。ありがとうございます!
「新鷹会」(しんようかい)は、『瞼の母』や『一本刀土俵入』などの名作で大衆文学に大きな功績を残した長谷川伸さんを中心に、1940年に結成された気鋭の作家ら有志の勉強会「十五日会」が母体。1963年に長谷川さんが亡くなられ後に、その遺志を受け継いで財団法人新鷹会が発足しました。新人作家の発掘、創作の研究を目的として活動しています。
その勉強会に、若い頃の池波正太郎さんが参加していたことでも知られています。
『大衆文芸 令和五年夏・秋の号』は、2023年6月に逝去された平岩弓枝さんの追悼号となっています。同誌に再掲されたエッセーによると、平岩さんは、1958年3月に、長谷川伸さんの主宰する新鷹会の勉強会にはじめて出席されたと言います。
2006年に亡くなられた村上元三さんから新鷹会の理事長(代表理事)を引き継がれました。『大衆文芸』の追悼号では、新鷹会での平岩さんのエピソードや思い出が綴られていて、「オール讀物」の追悼号(2023年8月号)とは、また別の往時の姿が偲ばれて、改めて喪失感を覚えました。
『大衆文芸 令和五年冬の号』の特集は、「長谷川伸没後60年」でした。
『和算の侍』(新潮文庫、『円周率を計算した男』改題)を始め、和算を主題にした歴史時代小説の第一人者である鳴海風さんも、長年新鷹会で研鑽した作家の一人。
『瞼の母』の物語の舞台、滋賀県米原市の番場の忠太郎の銅像移築をめぐる、読みごたえのあるレポートを寄稿しされていました。
中山道62番目の宿場町・番場宿にある蓮華寺は、鎌倉時代末、探題の北条仲時がこの地で足利尊氏によって攻められて、配下とともに自害した場所としても知られています。
この話は、荒山徹さんの『風と雅の帝』(PHP研究所)にも描かれました。
一度訪れてみたい地の一つです。
■今回取り上げた本