『15の街道からよむ日本史』|安藤優一郎|日経ビジネス人文庫
歴史家、安藤優一郎さんの『15の街道からよむ日本史』(日経ビジネス人文庫)は、主要な街道を15のテーマで取り上げています。各地域にの歴史を読み解くことで、日本史の意外な事実を解き明かしていきます。
著者の『30の名城からよむ日本史』『30の神社からよむ日本史』の姉妹編となる歴史読み物です。
「東海道より人気があった中山道」「一度、廃れた熊野古道」「4つあった日光街道」「将軍の緊急事態を想定していた甲州街道」――日本史を紐解いていくと、道、つまり街道を舞台に歴史が生まれる場面に幾度となく遭遇する。定評ある歴史研究者が、全国の特徴的な街道を取り上げ、様々なエピソードと新たな発見とともに綴る歴史読み物。
(本書カバー帯の紹介文より)
道、つまり街道は歴史においてさまざまな意味をもつことがあります。
とくに江戸時代、幕府は主要な五街道(東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中)を定め、街道の整備を進めたことで、街道は軍事的、政治的に利用されただけでなく、人々の経済・文化活動を支える重要なものになってきました。
神奈川県と静岡県の間には、箱根のほか足柄の山々も聳え立っている。両県をつなぐ形で走る東海道は箱根峠を越えるルート(箱根路)が本道と思われがちだが、もともとは足柄峠を越えるルート(足柄路)が本道だった。しかし、ある一大自然現象が東海道のルートを変更させてしまう。
平安時代前期にあたる延暦十九年(800)に富士山が噴火した。その後も噴火が続いたことで、東海道の本道が足柄路から箱根路に変更されたのである。(『15の街道からよむ日本史』P.66より)
「富士山の噴火で東海道のルートは変更された」の章では、東海道五十三次として私たちが知っている箱根路は本道ではなかったという話に引き込まれました。とすると、箱根駅伝も富士山のおかげということになりそうです。
また本書で、信州と三河を結ぶ中馬街道の存在を知りました。三河の岡崎と信濃の塩尻を結ぶ街道で、伊那街道や三州街道、飯田街道とも呼ばれ、「塩の道」の別称もある道です。「中馬(ちゅうま)」と呼ばれる運送業者が活躍していたと解説されています。
人に教えたくなるような歴史の蘊蓄が得られ、歴史時代小説を読む際にも役立つ、街道の知識が身に付きます。歴史小説を読み終えた後の気分転換にもおすすめです。
15の街道からよむ日本史
安藤優一郎
日経BP 日本経済新聞出版 日経ビジネス人文庫
2023年12月1日 第1刷発行
表紙画:歌川豊広「東海道 吉原」
提供:アフロ
ブックデザイン:鈴木成一デザイン室 ニマユマ
●目次
プロローグ
1 松尾芭蕉は奥州街道で見た名所旧跡に何を思ったのか
2 日光街道は四つあった
3 鎌倉街道は常に「いざ鎌倉」への道だった
4 富士山の噴火で東海道のルートは変更された
5 参勤交代では東海道よりも人気があった中山道
6 甲州街道最大の宿場内藤新宿はなぜ復活したのか
7 なぜ上杉謙信は北国街道を整備したのか
8 街道輸送の主力だったが馬が街道名になった中馬街道
9 京都への道(京の七口)は明治維新の狼煙が上がった道でもあった
10 伊勢参宮街道からやってきたお伊勢参りはどんなもてなしを受けたのか
11 上皇や貴族は熊野古道をどのように旅したのか
12 なぜ西国街道は五街道にまさるとも劣らず賑わったのか
13 お遍路街道はどのようにして生まれたのか
14 オランダ商館長一行は長崎街道で何を見たのか
15 武士の旅日記に国内の主要街道はどう書かれていたのか
参考文献
本文251ページ
■今回取り上げた本