『化け者手本』|蝉谷めぐ実|KADOKAWA
蝉谷めぐ実(せみたにめぐみ)さんの江戸歌舞伎ミステリー『化け者手本』(KADOKAWA)を紹介します。
著者は、2020年に『化け者心中』で「第11回小説野性時代新人賞」を受賞しデビュー。2021年には同作で第10回日本歴史時代作家協会賞新人賞、第27回中山義秀文学賞を受賞しています。
本書は、大坂生まれの元女形の田村魚之助(ととのすけ)と、通油町で鳥屋「百千鳥」を営む心優しき青年、藤九郎(ふじくろう)の二人がバディを組んで、芝居小屋で起きた不可解な殺人事件の謎を解く、「化け者」シリーズ第2弾になります。魚之助は、数年前まで白魚屋の屋号で当代一の女形として活躍していましたが、贔屓の客に足を切られて檜舞台から退いたという設定。
ときは文政、ところは江戸。
心優しき鳥屋の藤九郎と、稀代の女形だった元役者の魚之助のもとに、中村座の座元から事件の話が持ち込まれた。
舞台の幕が下りたとき、首の骨がぽっきり折られ、両耳から棒が突き出た死体が、客席に転がっていたという。これは何かの見立て殺しか。
演目は「仮名手本忠臣蔵」。死人が出るのはこれで二人目。
真相解明に乗り出したふたりだったが、芸に、恋に、義に、忠に生きる人の姿が、彼らの心を揺さぶって――。(『化け者手本』KADOKAWAサイトの紹介文より)
ねうねう。
店で、客の戯作者曲亭馬琴と芝居談義をしていた藤九郎の前に、金目銀目の三毛猫揚巻(あげまき)が現れました。
藤九郎は店を早仕舞いして、歩き出した猫のあとを追いながら、芝居町を通り抜けて住吉町にある元女形の屋敷の前に。
半年前に芝居小屋での事件に関わって以来、揚巻の飼い主の白魚屋、田村魚之助のもとに呼び出されては通っていました。
そこには、魚之助とその世話をしている蘭方医見習いのメルヒオール馬吉(める)がいて、中村座の桟敷番の千代蔵が同席しました。
「まるでお雛さんのようやねえ」との魚之助の言葉に、二度頷く。
「座元も洒落た人間を寄越すやないの。三月前まで端役で舞台に立っとった役者落ちやから、お顔が綺麗。この事件の話をしてもらうにはぴったりのお人やわ」
すかさず、めるは魚之助へと膝を寄せ、
「ということは、演目は『仮名手本忠臣蔵』。これを今、小屋でかけているのは中村座。此度の事件も中村座で起こったことで」
「大当たりや、める坊。お利口さん」
(『化け者手本』P.24より)
千代蔵は、事件のあらましを口上人形のように語り始めました。
三日ほど前のこと、初春狂言の幕が開いて十日。客足こそ、市村座に持っていかれつつも上上で中村座も賑わっていました。
芝居が終わった後の平土間の席で、男が死んでいました。しかも両耳から棒が突き出ている状態で発見されました。
しかし、男の死因は耳穴の棒ではなく、首の骨がぽっきりと折られたことでした。
誰が、何の目的で男を殺したのでしょうか?
そして耳穴に棒を突っ込んだわけは?
奉行所の同心らは見当違いのお調べをしています。
座元は、謎が解けなければ同じような事件が近いうちにもう一度芝居小屋で起き、小屋から殺しが出れば、幕が開かないばかりか、中村座一座が手鎖を受けることを懸念して、魚之助に事件の探索を依頼をしたのでした。
中村座で、座元の中村勘三郎から事件の概要を聞く魚之助と藤九郎。
座元は死体を描いた唐紙を二人に見せました。
死んだ男は醤油問屋角田屋の手代文次郎で、年は二十四。
切れ者で近々番頭に取り上げる話があって店での評判も良かったとも。
絵紙を見た魚之助は、文次郎は芝居に興味がなく、一人で芝居を見たとは思われないので、誰かと連れ立って小屋に来たのではと考えます。
「さあて、此度の事件の下手人は人間やろうか、それとも妖怪やろうか」
人を殺してしまえる化け者か、それとも、人を喰ってしまう化け物か。
「さあ、藤九郎。化けもん暴きの幕が開くで」(『化け者手本』P.44より)
時代は文政(曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』三十巻が先月出たところ、という記載があるので文政十年ごろでしょうか)。
いよいよ、元稀代の女形と心優しき鳥屋の青年のバディが中村座で起こった事件の謎を解くシリーズ第2弾の始まりです。
本書の魅力の一つは、歌舞伎の演目が物語の中に取り入れられていることにあります。
今回は『仮名手本忠臣蔵』。
演目が紙上で楽しめるとともに、その芝居に懸ける役者たちが物語に絡んでいくので油断ができません。
本書でも、中村座の若女形で『仮名手本忠臣蔵』でお軽を演じている駒瀬(こませ)、早野勘平を演じている相中役者(準主役)の阿近(あこん)らが丁寧に描かれていて、歌舞伎の世界に引き込まれました。
演目名の手本を小説のタイトルに取り入れた本書。
赤穂浪士の討ち入りを題材にした『仮名手本忠臣蔵』は、忠義と恋の間で葛藤するお軽と勘平を描いた狂言でもあります。武士の手本であり、恋の手本でもあります。
ただ一心に何からに打ち込む人間が、度を超え化け者になると言うのなら。
藤九郎は、ふと考える。
人間が化け者になる、その一線は一体どこにひかれているのだろう。
(『化け者手本』P.155より)
性別や暮らしを投げうってまで芝居に打ち込む役者たちは化け者であり、恋の成就を一心に願う女子らもまた化け者。
本書は、謎解きばかりでなく、芸道小説であり、人間の本質に迫るドラマでもあります。
ライバルの市村座で上演されるのが『助六廓櫻賑(すけろくくるわのはなみどき)』。
実は助六は、実は曾我兄弟の弟、曾我五郎時致という設定で、兄の曾我十郎祐成も白酒売りの新兵衛として芝居に登場します。
鎌倉殿の時代、仇討ちで名を馳せた曾我兄弟を題材とした歌舞伎は、『助六由縁江戸桜』など「曾我もの」と呼ばれて正月狂言の恒例となっています。
作品の随所に、著者の歌舞伎に関する知識と愛がにじみ出ていて、歌舞伎ファンならずとも大いに楽しめました。
前作に続き、紗久楽さわさんの表紙装画が素敵です。魚之助の手の指と貌の表現に痺れました。裏表紙には、羽織の白魚屋の紋まで描かれています。
化け者手本
蝉谷めぐ実
KADOKAWA
2023年7月28日初版発行
装画:紗久楽さわ
装丁:須田杏菜
●目次
なし
本文235ページ
書き下ろし
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『化け者心中』(蝉谷めぐ実・KADOKAWA)
『化け者手本』(蝉谷めぐ実・KADOKAWA)