幕末明治を駆けた自由民権運動の父、板垣退助の破天荒な生涯

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『自由は死せず(上)(下)』|門井慶喜|双葉文庫

自由は死せず(上)門井慶喜(かどいよしのぶ)さんの長編歴史時代小説、『自由は死せず(上)』(双葉文庫)を紹介します。

板垣退助は、幼かったころ、当時発行されていた百円紙幣の肖像画の人として、千円紙幣の伊藤博文、五百円紙幣の岩倉具視とともに、子供にもなじみのある偉人の一人でした。

ところが、本書に出合うまで、ずっと長い間、彼の生涯をつぶさに知る機会はありませんでした。(明治の偉人に関心がなかったことも大きいのですが)

百円紙幣(板垣退助) ←画像はWikipediaより

退助は、幕末、土佐藩藩士の家に生まれ、長じて討幕運動に身を投じ、官軍として会津攻めにも加わりました。明治新政府で参議となりながらも征韓論に与して下野し、自由民権運動を主導するという、波瀾万丈の生涯を送りました。

土佐の上級武士の家に生まれながら、子供の頃は「土佐一の悪童」。志士たちが躍動をはじめた青年期も「時勢に興味なし」と嘯いていた板垣退助。しかし、「あること」がきっかけで佐幕派である主君・山内容堂の意に反し、「幕府などいらん」と豪語、民のための政治を志していく。

(『自由は死せず(上)』カバーの紹介文より)

幼名乾猪之助(後の板垣退助)が生まれた乾家は土佐藩では馬廻と呼ばれる三百石の上士の家柄。しかしながら、父正成が原因で家庭生活は不幸でした。

天保七年(1837)四月に第二子として生まれた嫡男猪之助は、父から受けた体罰により、次第に粗暴を好み家へ寄り付かないようになっていき、「土佐一の悪童」と呼ばれるまでに。

父から「学問をせよ。武士はたくさん本を読め」と言われたことで、かえって読書嫌いとなり、寺子屋や藩校へ行かなくなってしまいます。あまのじゃくだったのです。
唯一、大好きだったのは『孫子』『呉子』『尉繚子』などの兵法書でした。

十六歳になっても藩校をさぼり、後藤保弥太(後の後藤象二郎)といっしょに鏡川で泳いでいました。

藩校の教授館の師範となった、土佐出身の元漁師でアメリカ帰りの万次郎から、海外事情の口授を受ける機会がありながらも、おのれの頭で考える前に一枚の紙(地図)に動揺する学友たちを見て、万次郎の語る異国事情は偽りだとまくしたてるあまのじゃくぶり。

二十歳のときに、猪之助は遂に体罰をする父に対して、逆に殴り返してしまいました。
驚き恐れた父は、周囲の反対や翻意を促す説得を押し切って事の顛末を書面に仕立てて藩へ提出してしまいます。

猪之助は「惣領職惣領職召し放ち」「城下四か村禁足」という重い罰を受けて、屋敷から半里離れた神田村の配所で、安政三年(1856)から安政六年(1859)までの3年弱を送ることになりました。

家においては「孝」が最も重要な武家社会で、いくら非道でも親を殴ることはけっして許されることではなかったのです。

井伊直弼による安政の大獄の嵐が吹き荒れるなかで幽閉生活を送りますが、土佐藩では、藩主が山内豊信(号容堂)から豊範に代わり、その恩赦で猪之助も罪を許され、新藩主に拝謁しました。

翌年、父が亡くなり家督相続が許されると、乾退助正形を名乗ることに。
容堂の側近で仕置役の吉田東洋によって、百姓から年貢をとりたてる実無責任者である、免奉行に任じられます。

「免奉行といえば、書類仕事の最たるものじゃ。わしにふさわしい役ではありませぬ。もっと武具方とか作事方とか」
 ――贅沢を言うな。
 と、さだめし東洋は一喝したかったろう。何の実績もないやつが、身のほど知らずにもほどがある。がしかし、この藩重役は、どこまでも退助には親身だった。
「おまんが武の人であることはわかっちょる。おまんほど『孫子』を読みこんだ男は、土佐には、いや日本中をさがしてもおらんじゃろう。だからこその免奉行じゃ。いまのうち文の経験を積んでおけ。かならず武のためのに役立つ」
 
(『自由は死せず(上)』P104より)

坂本龍馬や武市半平太ら下級藩士を主人公にする幕末小説では、敵役となることが多い吉田東洋ですが、板垣退助や後藤象二郎の視点からは好人物として描かれていて歴史の面白さを感じます。

象二郎が大政奉還論を推し進めるのに対して、退助は薩土同盟を画策し武力討幕に向かっていきます。両者の対比が絶妙で、沸騰点に向かうプロセスに、幕末小説としての醍醐味が堪能できます。

会津戦争に指揮官として従軍した板垣退助は、そこで戦争の悲惨さと無意味さを痛感する。幕府が倒れ、新政府が動き出すと、政府の参議に任じられるが、「征韓論」に敗れ下野することに。同じく政府を去った西郷隆盛、江藤新平らが士族の乱を起こし、板垣も呼応するように要請するが「戦に意味はない」と信じる板垣は、言論で政治を変えていく道を選ぶ。
憲法発布、国会開設、政党立ち上げ――武器を捨て、言論で日本の民主主義の基礎を作った板垣退助の生涯を描く傑作歴史小説。

(『自由は死せず(下)』カバーの紹介文より)

下巻では、戊辰戦争で官軍の東山道先鋒総督をつとめ、会津攻めに加わった退助が戦場で見たものが描かれています。

会津盆地に入る峠で、退助は風呂敷づつみを背負った商人、三歳くらいの丸坊主の男の子とその母親らしい痩せた農婦ら、武士を除く百人を下らない者たちが会津から亡命してくるのに遭遇しました。

「殿様が、わしらに何をしてくれた?」
 風呂敷づつみを背負いなおし、面罵しだした。
「その家臣どもが何をしてくれた? この三百年間ただ武士に生まれたってだけで大いばりで商売のじゃまをしたんでねが。腹いっぱい白米のめしを食ったんでねが。それが京でしくじりをして、のっぴきならない立場になったらヤレお国の危機じゃ、いくさじゃと。誰がすなおに金を出すか、米を出すか、虫がいいにもほどがある」

(『自由は死せず(下)』P.34より)

強烈な武士批判であり、司馬遼太郎さんの『峠』における幕末の長岡藩を想起しました。これまで武士の視点でのみ、幕末小説を読んできたことに気づかされました。

会津藩を降伏させて、徳川の世から薩長の世に変わっていくなかで、退助は自由民権運動の海に乗り出していきます。

下巻では、退助の「民主主義」へのあくなき挑戦が、圧倒的な熱量で描かれていきます。
退助は激動の幕末の時流に乗れなかったことで、尊皇攘夷の志士になれませんでしたが、それゆえに明治の元勲たちとは違う彼にしかできない活躍ができたんだなあということに気づかされました。
憲法発布、国会開設、政党立ち上げという、現在では当たり前のことになっている民主主義の基礎をつくった、板垣退助という稀有で破天荒な人物に強く引き付けられました。

自由は死せず(上)(下)

門井慶喜
双葉文庫
2023年1月15日第1刷発行

カバーデザイン:高柳雅人
カバーイラストレーション:ゴトウヒロシ

●目次
(上)
1 時勢に興味なし
2 父を殴る
3 出世の理由
4 下手人さがし
5 闇討ち
6 切腹
7 幕府をどう倒すか
8 秘密外交
9 江戸撹乱
10 われは板垣
11 会津へ
本文(上)475ページ

(下)
12 覚醒
13 箇条書きの男
14 臆病者
15 ことばの戦争
16 立志社
17 にっぽん一国
18 自由の党
19 自由は死せず
20 総選挙
解説 谷津矢車

本文(下)493ページ

本作品は、2019年11月、双葉社より単行本刊行されたものを文庫化にあたり、加筆修正したもの。

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『自由は死せず(上)』(門井慶喜・双葉文庫)
『自由は死せず(下)』(門井慶喜・双葉文庫)

門井慶喜|時代小説ガイド
門井慶喜|かどいよしのぶ|作家1971年生まれ。同志社大学卒。2003年、「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2015年、『東京帝大叡古教授』が第153回、2016年、『家康、江戸を建てる』が第155回直木賞候補に...