『家康を愛した女たち』|植松三十里|集英社文庫
植松三十里(うえまつみどり)さんの長編時代小説、『家康を愛した女たち』(集英社文庫)をご紹介します。
大河ドラマ「どうする家康」の放送に合わせて刊行された家康小説の一冊。
ほかにも、広く海外に目を向けた家康の晩年の海外戦略を描いた長編歴史小説『家康の海』があります。
本書は、家康の祖母華陽院、正室築山殿、母於大の方、豊臣秀吉の正室北政所、家康の側室阿茶局、孫娘徳川和子、孫家光の乳母春日局という、家康と所縁がある七人の女性たちの眼を通して、家康を描いた連作短編集です。
人質暮らしの幼い家康を養育した祖母華陽院。父に離縁され、赤子の頃別れた母於大の方。正室となり息子を生んだが、無残な最期を迎えた築山殿。関ヶ原の戦いまでの戦乱を共に生き抜き、盟友となった北政所。側室となり、豊臣方との交渉役を務めた阿茶局。徳川と天皇家を結ぶ役目を背負った孫の和子。世継ぎ決定の為、駿府に向かった家康の乳母春日局――。「私」だけが知る真の姿を描く家康小説7編。
(『家康を愛した女たち』カバー裏の説明文より)
於大の方の母であり、美貌で評判が高かった華陽院は、五人の夫を持ちました。それぞれ合戦で命を落としたり、病で亡くなったり、理不尽な離縁もあって、都度再縁させられました。
晩年は出家して、駿府の今川義元のもとにいて、竹千代(後の徳川家康)が八歳から元服するまでの六年間世話をしていました。
永禄三年(1560)五月、出陣前の松平元康(後の徳川家康)が、華陽院の暮らす尼寺(駿府・知源院)を訪れたところから、華陽院の語りが始まります。
「お祖母さま、私は合戦なき世を作ろうと思います」
私は驚いて、すぐに聞き返しました。
「雪斎さまが、そうせよと仰せだったのですか」
すると、そなたは首を横に振りましたね。
「いいえ、自分で決めたことです」(『家康を愛した女たち』P.35より)
築山殿の話では、天正七年(1579)八月、浜松・佐鳴湖近くが舞台になっています。
さまざまな出来事を通じて、次第に愛情から憎悪へと変わっていく築山殿の心情が描かれています。
於大の方も含めて、戦国の世の武家の姫では、当たり前のことだった政略結婚がもたらす悲劇を描くとともに、家康の苦悩と成長が活写されています。
北政所と阿茶局の話を通じて、太閤秀吉の薨去後から大坂の陣の後まで、戦のない世を作るために布石を打っていく家康が描かれています。
家康所縁の女性たちが登場する本書で、女性たちの生きざまと心情に触れるとともに、家康の彼女らにだけ見せる顔、私的な顔が垣間見れて面白く読むことができました。
とくに興味を覚えたのが、徳川秀忠とお江の娘、(後の東福門院)。
天皇家と将軍家の橋渡しと両家の対立をせぬようにを期待され、幕府を開いた家の者として初めて入内した女性です。
家康の死後、禁中並公家諸法度や紫衣事件などで、怒り心頭の帝の心中を慮り、和子はある策を講じます。
家康の物語は、自信の出世とともにスケールが大きくなり、天下を司る将軍家の物語になっていきました。そのため、最後の語り手は春日局が配されています。
将軍家を二百年以上にわたり、確固なものにした春日局により、家康の物語は、将軍家の家族の物語となりました。
家康の家族の物語には、『家康の母お大』や家康の次男結城秀康とその母お万の生涯を描いた『家康の子』があります。歴史の狭間に埋もれて忘れ去られた人物や出来事に光を当ててきた著者ならではの物語が楽しめます。
家康を愛した女たち
植松三十里
集英社 集英社文庫
2022年11月25日第1刷
カバーデザイン:木村典子(Balcony)
イラストレーション:ヤマモトマサアキ
●目次
第一章 華陽院
第二章 築山殿
第三章 於大の方
第四章 北政所
第五章 阿茶局
第六章 徳川和子
第七章 春日局
解説 西條奈加
本文289ページ
書き下ろし。
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『家康を愛した女たち』(植松三十里・集英社文庫)
『家康の海』(植松三十里・PHP研究所)
『家康の母お大』(植松三十里・集英社文庫)
『家康の子』(植松三十里・中公文庫)