『れんげ出合茶屋』|泉ゆたか|双葉社
泉ゆたかさんの長編時代小説、『れんげ出合茶屋』(双葉社)を紹介します。
本年2022年の著者の活躍は目覚ましいものがあります。
文庫オリジナルで、『朝の茶柱 眠り医者ぐっすり庵』と『恋ごろも お江戸縁切り帖』、『玉の輿猫 お江戸けもの医 毛玉堂』を刊行し、単行本では本書を上梓しました。
時代小説で、男女の逢瀬の場である出合茶屋が描かれることは少なくないのですが、出合茶屋がタイトルに入って主舞台となる作品はあまり記憶にありません。
「うんと気の強い女中が欲しい」そんな注文が入り咲は新しい奉公先のある上野池之端を訪れる。不忍池の畔のあばら家で待っていたのは、なんと幼い頃の咲を連れて奉公していた大店の元お嬢様、志摩だった。
さらに妙な色気のある女、香も加わり、志摩は男女が人目を忍んで逢瀬を楽しむ“出合茶屋”を開くという。
やがて、三人の店はよそにない趣向が受けてお江戸で大評判に。だが、次々と厄介事が舞い込んで……?(『れんげ出合茶屋』カバー帯の説明文より)
口入屋の老女将の家に間借りして、女中の仕事をする咲が新たに派遣された先は、上野池之端の不忍池の畔の出合茶屋が立ち並ぶ一群からほんの少し離れたところに立つ二階建てのあばら家でした。
咲が入口の戸を引いて声を掛けると、女にしてはずいぶん大柄な身体の女が「待ちくたびれていたよ」と言って出てきました。
「あんたが“うんと気の強い”女中さんかい? それにしちゃ、少々頼りない顔つきだね。もっと、とんでもなく恐ろしい女が来るかと思って楽しみにしていたのに。おっかないくらいの女でないと勤まらない商いを始めるんでね」
どう答えたらよいかわからず、咲はさらにもう一歩後ろに身体を引いた。
女は刺々しい言葉に反して、咲の中に勝手に何かを認めたように小さく頷いた。
「私が志摩だよ。だいたいの話は、口入屋の婆さまから聞いているね。住み込みの女中仕事で、日に銀三匁だ。文句はないだろう?」
「ええ、もちろんです」
(『れんげ出合茶屋』P.10より)
咲が名乗ると、志摩は「ねえ、あんた、お咲ちゃんかい?」と確認して、歓声を上げました。
志摩と咲は幼馴染みでした。志摩は麹町の呉服屋の紅葉屋のお嬢様で、咲は女中として働く母に伴われて、紅葉屋に住み込み、志摩の良い遊び相手にすべく仕込まれていました。
ところが咲が七つのときに、事件が起きて紅葉屋は崩壊し、奉公人は皆、暇を出され、咲と母も住まいを追われました。
それから二十年。
志摩は遠縁の家に養女に入り、嫁にも行かずに店の手伝いをしながら駆け回っていたと言います。
一方、咲は、一度所帯を持ちましたが、今は離縁して渡りで女中仕事をしていることを告げました。
さらに、香というすこしぼんやりとして、少々尻軽の女がお運びさんとしてやってきました。
わけありの女三人が、元はまともな飯屋だったらしいあばら家ではじめる商いは、出合茶屋でした。
咲の日給の「銀三匁」は、現在の価値で7,800円ぐらいになります。
住み込みで、食費や宿泊費がかからないなら、良い給料と言えそうです。
ちなみに、銀は豆板銀などの重さを量る貨幣で支払われ、江戸の中後期には、銀一匁は約2,600円でした。銀1/10匁=銀一分で、銀千匁は銀一貫となります。
「いや、飯屋はやらないよ」
「それじゃあ……」
「もちろん出合茶屋をやるのさ。不忍池の畔といえばこれだろう?」
志摩は閉ざされた障子を指した。
「幸い、二階の部屋はそっくりそのまま客間に使えるよ。広めの部屋は、月に一度の逢瀬を楽しみにせっせと小金を溜め込んだ番頭さんに。女中のための相部屋は、うんと貧乏でうんと仲良しのお二人にぴったりさ。下っ端の小僧たちの雑魚寝の大部屋は…皆さまお揃いで普段と違う趣向を楽しみたいってお大尽さまに、お貸しすればいいかねえ?」(『れんげ出合茶屋』P.22より)
格式高い呉服屋、紅葉屋のひとり娘の志摩が、二十年のときを経て、男と女の密会の場を作ろうとしていることに、咲は不審を覚え、「お志摩さんは、いったいどうしてこんな商売を始めるんですか?」と咄嗟に口にだしてしまいました。
そして、三人が始めた出合茶屋に、絵師の左之助が居候をすることになり、波乱の予感が…。
江戸のラブホテルである出合茶屋を舞台にしていて、天下無双の尻軽女・お香の存在もあって、読み始める前は、映画のR18+指定のような大人向けの官能小説や艶笑小説を想起していました。
ところが、物語は、三人の出合茶屋を繁盛させるためのよその店にない商いの工夫や、男と女の逢瀬の場で起こる厄介事の数々が連作形式で描かれていき、知らず知らずのうちに引き込まれていきます。
女たちのわけありの過去も明らかになり、彼女らが再起していく力強さには元気がもらえます。明るく幸せで、生きる力に満ちた小説です。
れんげ出合茶屋
泉ゆたか
双葉社
2022年9月18日第一刷発行
装画:最上さちこ
装丁:鈴木久美
●目次
第一章 天花粉
第二章 蓮飯
第三章 蛇神さま
第四章 遠眼鏡
第五章 紅
本文271ページ
書き下ろし。
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『れんげ出合茶屋』(泉ゆたか・双葉社)
『朝の茶柱 眠り医者ぐっすり庵』(泉ゆたか・実業之日本社文庫)
『恋ごろも お江戸縁切り帖』(泉ゆたか・集英社文庫)
『玉の輿猫 お江戸けもの医 毛玉堂』(泉ゆたか・講談社文庫)
『』と『恋ごろも お江戸縁切り帖』、『玉の輿猫 お江戸けもの医 毛玉堂』