『家康が最も恐れた男たち』|吉川永青|集英社文庫
吉川永青(よしかわながはる)さんの長編時代小説、『家康が最も恐れた男たち』(集英社文庫)を紹介します。
徳川家康は日本史上では偉大過ぎて、歴史時代小説において主人公として取り上げることが難しい人物の一人です。
そのせいもあってか、家康が主人公の歴史時代小説はさほど多くはなかったように思います。
ところが、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の放送が決まり、俄然、家康に注目が集まり、彼を主人公にした歴史時代小説が次々に刊行されることになりました。
そんな中で、まず押さえたい一冊が、戦国歴史時代小説の名手である著者が描く家康小説『家康が最も恐れた男たち』です。
「遺訓の言葉はな、恐れた相手たちから学んだことよ」病床に伏す家康は、遺訓を書き終えて側近の儒者・林羅山に告白する。自分は怖がりだったが故に、天下が取れたのだと――。信長、秀吉、利家、三成など、家康が出会った八人の武将たち。彼らの何に恐れ、何を学んだのか。天下統一を成し遂げるまでの半生を家康視点・時系列で追うことで彼の実像に迫る、連作短編集。これまでにない家康小説!
(『家康が最も恐れた男たち』カバー裏の説明文より)
元和二年、病の床にあった大御所徳川家康は、自らの生涯を振りかえり、子孫のために遺訓を残しました。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる
おのれを責て人をせむるな
及ばざるは過たるよりまされり
(『家康が最も恐れた男たち』P.9より)
側近の儒者林羅山は、一文を読んで家康がどう歩んできたかを表した訓示なのだろうと感想を述べましたが、家康は、遺訓の言葉は、恐れた相手たちから学んだことと述懐しました。
はじめから大業を志した訳ではなく、家を潰されぬよう守ることのみで手一杯だったと。
武田信玄、織田信長、豊臣秀吉……、常に難敵・難物に囲まれてきました。
「ほんに、怖い相手が後を絶たぬ。されどな……恐るべき者に道を塞がれるたび、その者たちから何かを学んできた。それが、わしを大きくしてきたように思える」
(『家康が最も恐れた男たち』P.14より)
我が身と家を守ることのみ考えていた家康に、やがて野心が芽吹き、その芽を育てるべく、難敵から学んだ諸々を活かし、急がず時を待ち、不自由に甘んじ、ならぬ堪忍をして他人を責めず、戦って負ければそれを糧にしたと言います。
家康の孫で当年十三歳となる竹千代の学問の師でもある羅山は、遺訓を教えて導くために、大御所が恐れた相手を知っておきたいと請いました。
「お教えくだされ。誰の、何を恐れ、そこから何を得られたのかを」
「我が恥を知りたいと申すか」
「曲げて、お願い申し上げます」(『家康が最も恐れた男たち』P.15より)
元亀三年(1572)、家康は、山家三方衆を調略し、北条と和睦を結んで、三河に侵略し上洛の準備を着々と進める、武田信玄を大いに恐れていました……。
本書の面白さは、家康は生得の英傑ではなく、生涯で出会った武将たちによって、磨かれて、最後には誰もなしえなかった極みまで到達した人物であるとしている点にあります。
家康は、七十五年の人生で切所というべき転機をいくつか迎えます。
武田信玄や織田信長、豊臣秀吉ばかりでなく、上田合戦の真田昌幸、秀吉没後の前田利家や石田三成、黒田如水、大坂の陣の真田信繁(幸村)まで、その折ごとに、最も恐れた男をつくり、その人物を乗り越えることで、野心を育て力を付けていました。
本書では、時系列順に仮想敵を登場させ、そこで家康が相手から学んだことに触れられるので、RPGの主人公のように成長していく家康が楽しめます。
戦国小説の名手が描く、これまでにない視点が面白くて、家康を理解するための格好の一冊です。
家康が最も恐れた男たち
吉川永青
集英社・集英社文庫
2022年10月25日第1刷
カバーデザイン:目崎羽衣(テラエンジン)
イラストレーション:ケッソクヒデキ
●目次
序章
其ノ一 武田信玄
其ノ二 織田信長
其ノ三 真田昌幸
其ノ四 豊臣秀吉
其ノ五 前田利家
其ノ六 石田三成
其ノ七 黒田如水
其ノ八 真田信繁
解説 末國善己
本文391ページ
本書は「Web集英社文庫」2022年3月~9月に配信されたものを加筆・修正したオリジナル文庫。
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『家康が最も恐れた男たち』(吉川永青・集英社文庫)