『稲妻左近捕物帳 第一巻 花火車』|九鬼紫郎|捕物出版
九鬼紫郎(くきしろう)さんの捕物小説集、『稲妻左近捕物帳 第一巻 花火車』オンデマンド本を紹介します。
著者は、明治43年(1910年)に神奈川県横浜市に生まれ、1931年、『探偵』に九鬼澹(くきたん)名義で短編小説「現場不在証明」を発表しデビュー。探偵雑誌『ぷろふいる』の二代目編集長をつとめますが、同誌は出資者の資金繰りの失敗から1937年4月号をもって廃刊となりました。
その後、三上紫郎名義で時代小説を発表し、1953年ごろから九鬼紫郎にペンネームを改め、推理小説と時代小説を精力的に執筆しました。
そのため、「稲妻左近捕物帖」も執筆年代によって、三上紫郎や九鬼澹、九鬼紫郎と名義が変わりました。
昭和20年代の捕物小説全盛期の定番捕物帳の一つでありながら、著作権継承者が不明のために刊行されてこなかった稲妻左近捕物帖を全6巻で復刊。
第一巻には、昭和17年に金鈴社より刊行された「花火車」の収録作、消えた藤娘、京伝、蛇侍、花火車、能面譜、二人源三郎、踊りの師匠の7編と、昭和23年に発表された変化花嫁、幽霊妻、江戸橋小町の3編、計10編を掲載。(Amazonの内容紹介より)
本書の探偵役は、南町奉行所定廻り同心の青山左近。羽織に染めだした紋が、余り類例のない稲妻模様であることから、稲妻左近とか稲妻同心と呼ばれる江戸で評判の捕物名人です。
捕物への勘が異常に強く、左近がひとたび睨めば、いかなる怪事件・難事件も解けぬ例がないといいます。
竹内流柔術は免許皆伝、剣は心影流を遣い、頭脳は明晰で腕もあり、おまけに歌舞伎役者そこのけの男振りで、鬼に金棒以上の強みを持っています。しかも武辺一辺でもなく、十兎の雅号で俳句にふけり、持明院流の字に優れた達筆で、おまけに興に乗じて俳味のあふれた大津絵まで描くという、多芸多才ぶりです。
使い走りの小者・玉八と日本橋小網町に住む岡っ引の脂(やに)下がりの吉五郎を従えて、難事件解決に乗り出します。
「……旦那のお描きになった大津絵の藤娘が、何とかいう絵かきの幽霊の絵に早変りをしていた、とこうなんだ」
「今日で評判の高い円山派の、それも去年死んだ応挙の絵と判断したが、どうかな」
「そうそう。その応挙が描いた、それも縁起でもねえ幽霊の絵が、なんてえ事だろう、藤娘の軸箱に入っている。だいたい旦那の描く絵とくると、天狗の鼻先へ女がブラ下がっていたり、下手糞な鬼の念仏、雷が太鼓を落としてベソを掻いたり、妙ちくりんなものばかりだ。まあ、幽霊よりはよござんすが……」(『稲妻左近捕物帳 第一巻 花火車』「消えた藤娘」P.4より)
時代は、寛政八年(1796)二月。
左近は、狂歌仲間で小松町の呉服屋の主人に頼まれて、嫁入りが決まった娘のために大津絵の藤娘を描きました。主人は大変喜んで、それを表具師へ回して、表装が出来上がって受け取ると、中身は藤娘でなく、応挙の描いた凄い幽霊の絵に変わっていました。
一方、小網町に住む月岡逸仙という、貧乏人泣かせの評判のよくない医者が床の間で胸を刺されて殺されていました。兇器は離れ座敷で永い間寝たきりの逸仙の女房の右手に握られていました。しかも女房は床から抜け出し、縁から転がり落ちて庭石に頭を打ち付け死んでいました。
左近は、奇妙奇天烈な事件をいかに解くのでしょうか。
「引込思案をしている時じゃありません。旦那が京伝と親しい事はチャンと知っておりますが、その山東京伝……木挽町の自身番へ引っぱられましたぜ」
「なんだと」左近は足を停めて、「吉五郎、貴様は常々、大の忙て者。変な聞きかじりを俺の耳にいれると承知しないぞ」(『稲妻左近捕物帳 第一巻 花火車』「京伝」P.37より)
木挽町の美しい小唄師匠杵屋お力が殺され、下手人として山東京伝が引っぱられました。竹町の酒屋の娘と遊び人の銀次が、お力の家から出てゆく京伝を見た後、お力の家に入ると、お力が剃刀で喉を斬られて殺されているのを見つけたと。
十兎と名乗り俳句をひねる風流な文人気質の左近は、京伝を畏敬し尊敬していて、吉五郎から、京伝が自身番へ呼ばれたと聞き、京伝が人を殺すとも思われず、押っ取り刀で事件の解決に乗り出しました。
なお、京伝の実弟・京山も重要な役でこの話に登場します。
本書は、アクロバティックな事件の謎を、左近が論理的思考から推理して、真犯人を突き止めるというストーリーの面白さに加え、70~80年前の作品と思えない軽快な読み味にあります。
また、表題作をはじめ、江戸の風物を取り込んだり、文人趣味を織り交ぜたり、広く興味を引く設定にも惹かれます。古き佳き昭和の推理小説の香味をまとった捕物帖です。
稲妻左近捕物帳 第一巻 花火車
九鬼紫郎
捕物出版
2022年8月1日 オンデマンド版初版発行
装画:土端一美
稲妻左近捕物帳 第一巻 花火車「蕎麦切庖丁」口絵より
別冊宝石36号 岩谷書店 昭和29年4月10日発行
目次
消えた藤娘(三上紫郎名義)
京伝(三上紫郎名義)
蛇侍(三上紫郎名義)
花火車(三上紫郎名義)
能面譜(三上紫郎名義)
二人源三郎(三上紫郎名義)
踊りの師匠(三上紫郎名義)
変化花嫁(九鬼澹名義)
幽霊妻(九鬼澹名義)
江戸橋小町(九鬼澹名義)
本文266ページ
本書収録作品の底本は、以下の通り。
消えた藤娘、京伝、蛇侍、花火車、能面譜、二人源三郎、踊りの師匠
『花火車』 三上紫郎名義(金鈴社・昭和一七年六月一五日発行)
変化花嫁
「小説」第二巻第一号 九鬼澹名義(かもめ書房・昭和二三年二月五日発行)
幽霊妻
「仮面」春の増刊 九鬼澹名義(ぷろふいる社・昭和二三年四月一五日発行)
江戸橋小町
「仮面」臨時増刊 九鬼澹名義(八千代書院・昭和二三年八月一日発行)
■Amazon.co.jp
『稲妻左近捕物帳 第一巻 花火車』オンデマンド本(九鬼紫郎・捕物出版)