『黛家の兄弟』|砂原浩太朗|講談社
砂原浩太朗さんの長編時代小説、『黛家の兄弟(まゆずみけのきょうだい)』(講談社)を紹介します。
著者は、2021年、『高瀬庄左衛門御留書』で、第165回直木賞候補となり、第11回「本屋が選ぶ時代小説大賞」と、第15回舟橋聖一文学賞、第9回野村胡堂文学賞を受賞しました。
本書は、『高瀬庄左衛門御留書』で描かれた神山藩(架空の藩)を舞台にした、「神山藩」シリーズの第2弾です。
作者が創作した藩というと、藤沢周平さんの海坂藩、葉室麟さんの羽根藩・黒島藩・扇野藩、あさのあつこさんの小舞藩・天羽藩・田鶴藩など、作品の世界観を構築する重要な設定のひとつとなっています。
神山藩で代々筆頭家老の黛家。三男の新三郎は、兄たちとは付かず離れず、道場仲間の圭蔵と穏やかな青春の日々を過ごしていた。しかし人生の転機を迎え、大目付を務める黒沢家に婿入りし、政務を学び始める。そんな中、黛家の未来を揺るがす大事件が起こる。その理不尽な顛末に、三兄弟は翻弄されていく。
(カバー帯の説明文より)
十七歳の黛新三郎は、道場仲間の由利圭蔵と、桜の名所として名高い、鹿ノ子堤に出かけ、途中で新三郎の長兄栄之丞と次兄壮十郎と落ち合いました。
黛家は、代々筆頭家老の家柄で、三千石の大身。一方圭蔵は三男というところだけは新三郎と同じだが、家は普請組二十石の下士で、本来ならまともに顔も見られぬほど身分が隔たっています。
一行は桜並木を城下と反対の方角へ、四半刻ばかり歩き人混みがまばらになってきたところで、武家の女中と思しき若い女に声を掛けられました。
「黛様のご兄弟では」
女中が臆する風もなく告げた。うすい唇に、顎のほくろが目につく。うつくしいといえぬわけでもないが、どこか釣り合いのわるい顔立ちだった。
圭蔵がこちらを振りかえると同時に、
「いかにも左様だが」
壮十郎が磊落な調子でこたえる。女中は表情をやわらげると、背後に視線をすべらせた。
「りく様でございます。黒沢の」(『黛家の兄弟』P.10より)
すらりと痩せた体つきで、秀麗といっていい容貌とそっけない話し方で、冷ややかに見えてしまう長兄栄之丞。みっしりと筋肉に覆われた姿で、遊里にもしげく出入りしている自由闊達な次兄壮十郎。
りくは、八百石で大目付のお役をつとめているが、藩祖につらなる家で、家中では別格の扱いを受けている黒沢家の一人娘。
兄弟の父・清左衛門とりくの父・織部正が親しい間柄で、家族ぐるみの付き合いを続けていて顔なじみでした。
りくからの花見の宴の誘いを断った一行に対して、酒に酔った五人ほどの若侍が「――では、かわりに呼ばれようか」が絡んできました。
あわや喧嘩となるところ、次席家老の漆原内記が現われ、争いを止めました。
物語の冒頭の「花の堤」の章では、桜の咲く美しい堤で、主要な人物たちを紹介しつつ、やがて起こるであろう事件を予感させて、引き込まれていきます。
「きょうも、ぎりぎろまでしがみついた……おのれの未熟を振りかざし、見苦しいほどに」
「――未熟は悪でござる」なにかを断ち切るように応える。爛れたかと思うほど喉の奥が痛んだ。「それだけは知り申した」
(『黛家の兄弟』P.216より)
三兄弟に降りかかった大きな事件を通じて、兄弟の誇りを守るために戦った新三郎は自身の未熟さを知るとともに、これを機に大人の世界へと踏み出していきます。
本書の魅力は、新三郎の成長の物語とともに、十三年の歳月を経てなお、藩内の政争に翻弄される黛家の兄弟たちの姿が活写されている点にあります。
藤沢周平さんになぞらえて評価されることが少なくない著者ですが、今回、筆頭家老という最上位の上士の家族を描いた点を興味深く思いました。
暮らしぶりや身分関係などで、下級武士とは大きく異なり、上位のレイヤーで藩内のまつりごとや抗争に関わるために、物語の興趣が深まる効果があります。
本書において、読者が主人公に自身を投影させて共感を覚えるというようなことは少なくなりますが、筆頭家老家の三兄弟という設定は、物語をとことん面白くしていることは間違いありません。
各賞を受賞した前作『高瀬庄左衛門御留書』に勝るとも劣らぬ、時代小説の醍醐味が詰まった第二弾です。
黛家の兄弟
砂原浩太朗
講談社
2022年1月11日第一刷発行
装幀:芦澤泰偉
装画:大竹彩奈
●目次
第一部 少年
花の堤
闇の奥
宴のあと
暗闘
逆転
なつのあめ
虫
第二部 十三年後
異変
襲撃
秋の堤
闇と風
冬のゆくえ
春の嵐
熱い星
本文410ページ
初出:
「花の堤」「小説現代」2021年2月号掲載
その他の章は書き下ろし
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『黛家の兄弟』(砂原浩太朗・講談社)
『高瀬庄左衛門御留書』(砂原浩太朗・講談社)