『月と日の后』|冲方丁|PHP研究所
冲方丁(うぶかたとう)さんの長編歴史時代小説、『月と日の后』(PHP研究所)をご恵贈いただきました。
ライトノベルでデビューし、SFジャンルでも活躍し、2009年の『天地明察』以降、歴史時代小説も手掛ける著者は、今年デビュー25周年を迎えました。
記念作品として発表する本書『月と日の后』、藤原道長の娘で、一条天皇の中宮(后)となった、藤原彰子(ふじわらのしょうし)の生涯を描く、平安時代小説です。
わずか12歳で一条天皇の后となった、藤原道長の娘・彰子。幼すぎる入内、未熟な心。夫である一条天皇は優しく彼女を包み込むが、彼が真に愛した女性・定子の存在は、つねに彰子に付きまとう。
しかし、定子が遺した子を抱きしめた日から、彰子の人生は動き始めた。父や夫に照らされる“月”でしかなかった彰子は、紫式部にも支えられ、やがて「国母」として自ら光を放ち出す――。(カバー帯裏の内容紹介より)
長保元年(999)十一月、その年女性の成人式である裳着の儀式を済ませてばかりの、十二歳の彰子は、父藤原道長の期待を一身に負い、一条天皇の后となるべく入内しました。
ところが、その六日後、初めて一条天皇を迎える初夜の日、一条天皇に中宮定子(ていし)が男子を出産したという報せが届きました。
――この人に息子ができた。
自分が務めるはずだと信じ込まされていた役目を、別の女性がすでに果たした。よりにもよって、自分が女御となった日の朝に。
中宮定子が。
その名だけは知っていた。それ以外のことはほとんど何も知らなかった。
(『月と日の后』P.20より)
二十歳にしては老成している帝は、そんな彰子を穏やかに優しく接しますが、添い寝をするだけで関係が深まることはありませんでした。
あまりに幼く、女御の役割を果たせずに苦悩し、孤独を感じる彰子。
父が無理やり彰子を中宮にすると、一条天皇から最も愛された女性、定子は皇后になってしまいました。
ところが、ますます太刀打ちできない存在と思っていた定子が、一年後に女児を出産した直後に崩御されたという衝撃的な訃報がもたらされました。
彰子は弱い自分が砕けてしまわないために、おのれの脆弱な心を隠して、無感情につとめ、必死に現実から逃れるようにしました。
ところが、長保三年の夏、父から皇后定子が産んだ帝の長子の母親になるように命じられました。
幼児は温かかった。その小さな手が、危なげにその子を抱く彰子の人差し指をつかんだ。そのあどけない目が、じっと彰子を見ていた。
――お前はもう帰れない。
私のように。そう思ったとたん、大粒の涙があとからあとからこぼれ、彰子の顔を濡らした。
(『月と日の后』P.44より)
彰子は、自分を覆い尽くしていたものを引き裂き、「わたしくが、この子の母になります」と周囲に告げました。
この子を守ろうという一念は、やがて“天下第一の母”となる彰子の、最初の開眼でした。
本書に出会うまで、藤原彰子という人物について、平安時代を代表する権力者藤原道長の娘で、紫式部が女房として仕えていた中宮というぐらいの知識しかありませんでした。
ところが、時の権力者道長や藤原頼通に抗い、一条、三条、後一条、後朱雀、後冷泉、後三条、白河の七代の天皇を見守り支え続け、“国母”として戦い続ける、すごい人物だったことを知りました。
一族間の権力争いや陰謀、時には怨霊までもが跋扈する朝廷。平穏をもたらす存在を目指しながらも、若くして崩御した夫・一条天皇の遺志を継ぐ彰子の生涯に、心を揺すぶられました。
これまで馴染みが薄く、理解しづらかった、平安朝の歴史と人物がよくわかる、本格歴史小説です。
読み終えたとき、なぜ作者が今、藤原彰子を描きたかったのかがわかりました。
平安王朝を描いた作品では、中宮定子に仕えていた、清少納言を描いた長編小説『はなとゆめ』があります。
定子の側から描かれていて、本書との視点の違いが面白く、平安朝への興味が深まります。
月と日の后
冲方丁
PHP研究所
2021年9月30日第1版第1刷発行
装丁:高柳雅人
装画:天羽間ソラノ
写真:遠藤宏
●目次
望月の章
初花の章
日輪の章
本文445ページ
初出:月刊『歴史街道』2018年5月号~2021年6月号に連載された作品を加筆修正したもの。
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『月と日の后』(冲方丁・PHP研究所)
『天地明察(上)』(冲方丁・角川文庫)
『はなとゆめ』(冲方丁・角川文庫)