『星落ちて、なお』|澤田瞳子|文藝春秋
澤田瞳子さんの長編小説、『星落ちて、なお』(文藝春秋)を紹介します。
幕末から明治を代表する絵師河鍋暁斎(かわなべきょうさい)を父に持ち、自身も絵師として活躍した河鍋暁翠(きょうすい)こと、とよの生涯を描いた長編歴史時代小説です。著者の澤田瞳子さんは、同作で、2021年、第165回直木賞を受賞されました。
不世出の絵師、河鍋暁斎が死んだ。残された娘のとよ〈暁翠〉に対し、腹違いの兄・周三郎は事あるごとに難癖をつけてくる。早くから養子に出されたことを逆恨みしているのかもしれない。
暁斎の死によって、これまで河鍋家の中で辛うじて保たれていた均衡が崩れた。兄が河鍋の家を継ぐ気がないのは明白であった。弟の記六は根無し草のような生活にどっぷりつかっていて頼りなく、妹のきくは病弱で長くは生きられそうもない。
河鍋一門の行末はとよの双肩にかかっているのだったが――。(『星落ちて、なお』カバー帯の紹介文より)
物語は、明治に十二年春、暁斎の通夜の翌日、野辺送りが終わった日の宵に始まります。
根岸金杉村の家では、暁斎の娘とよのほか、暁斎の親友で古参の弟子真野八十吉、酒問屋鹿島屋の八代目、清兵衛が残っていました。
とよは、喪主の癖に精進落としの最中から姿を見なくなった兄の周三郎を迎えに、本郷大根畑にある周三郎の家に行きました。
「なあ、知っているか、おとよ。親父どのがどうして、まだ五つ六つのおめえに絵の手ほどきを始めたのかってことをさ」
不意に周三郎の声が低くなった。
「親父どのはな。本当に北斎になりたかったんだ。あの出不精の親父が、時折思いついたように日光や信州にでかけていったのもそうだし、おめえっていう娘に絵を仕込んだのも、北斎に少しでも近づこうとしてに決まってら」(『星落ちて、なお』 P.25より)
周三郎は、生前の暁斎がとよに割り振った遊女図の絵を、雑事に追われてなかなか描けないとよに代わりに描いていました。
暁斎の絵をそのまま引き写したかのような小器用さと不羈なる筆致は、とよにないものでした。
河鍋の家は、絵を描くことではじめて家族関係が成り立っているようでした。
血の代わりに体内に墨が流れているのではと案じられるほど、絵しか考えない男、暁斎を父に持ち、早くに養子に出されて亡き父に恨みのような感情を抱きながらも、長じて父の画業を継ぎ認められようと苦闘する兄周三郎。
五つ六つで父から絵の手ほどきを受け、暁斎の最も身近な弟子として、一日の大半を父の傍らにいたとよ。
一つの家族の在り方が描かれていきます。
明治二十二年から大正十三年まで、六つの時代を取り上げて、一人の女性絵師河鍋暁翠こと、とよの半生をドラマチックに描いていきます。
「赤い月」の章では、大正十二年(1923年)に起きた関東大震災に遭遇する、とよが描かれています。
時代小説の中でこの地震が取り上げられることが少ないので、興味深く衝撃的な場面でした。
冒頭に暁斎の弟子として登場する、鹿島屋清兵衛が、その後もとよと関わる重要な役回りを演じます。その存在が物語に情感と時代性を与えてくれます。
明治、大正の画壇で光彩を放ちながら、現代では知る人ぞ知る存在(実は本書を読むまでは知りませんでした)となっている、日本画家の橋本雅邦、女性画家栗原玉葉、彫刻家の北村直次郎(四海)らが、とよと関わっていくのも見逃せません。
読み終えた後、埼玉県蕨市にある、河鍋暁斎記念美術館を訪れて、暁翠の絵を間近で見てみたくなりました。
星落ちて、なお
澤田瞳子
文藝春秋
2021年5月15日第1刷発行
装画:河鍋暁翠「五節句之内 文月」
装丁:野中深雪
●目次
蛙鳴く 明治二十二年
かざみ草 明治二十九年、冬
老龍 明治三十九年、初夏
砧 大正二年、春
赤い月 大正十二年、初秋
画鬼の家 大正十三年、冬
本文321ページ
初出:別冊「文藝春秋」2019年7月号~2021年1月号
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『星落ちて、なお』(澤田瞳子・文藝春秋)