『徳川最後の将軍 慶喜の本心』|植松三十里|集英社文庫
植松三十里(うえまつみどり)さんの文庫書き下ろし歴史小説、『徳川最後の将軍 慶喜の本心』(集英社文庫)をご恵贈いただきました。
心情的に佐幕派のせいか、これまで徳川慶喜という人物が苦手でした。
鳥羽伏見の戦いが始まったばかりの段階で、大坂城から敵前逃亡をしたことから、稀代の暗君ではないかとすら思っていました。
ところが、NHK大河ドラマの「青天を衝け」で、草彅剛さんの好演もあり、徳川慶喜に対する見方が少し変わり、もっと知りたいと思うようになりました。
御三家水戸藩に生まれた徳川慶喜は、美男子で文武に秀でていた。一橋家養子となると、名君の資質を見込まれ次期将軍に推される。だが、出世欲がなく、黒船来航からの国難に対処して欲しいとの要望を初めは拒む。開国を迫る日本を護りたいとは思うが……。最後に将軍となり、最悪の評価を覚悟して最良を模索し続けた慶喜。溺れる国の未来を拓いた男の真意とは! 歴史小説。
(本書カバー裏紹介より)
天保十五年(1844)の梅雨の頃。
水戸の藩校・弘道館で学ぶ八歳の七郎麻呂(後の徳川慶喜)は、父徳川斉昭の隠居謹慎と実兄鶴千代麻呂の江戸出立の話を、斉昭の側近・武田耕雲斎から聞きました。
斉昭が異国船との対戦を想定して始めた追鳥狩(鳥や兎などを集団で狩る大規模な軍事調練)が戦支度とみなされて処罰されたことらしいが、背景には改革を進める斉昭らの改革派とそれに不満をもつ門閥派の対立がありました。
七郎麻呂は、耕雲斎から日本の歴史を学んでいました。
水戸徳川家では、二代藩主光圀以来、「大日本史」という膨大な歴史書の編纂を代々続けており、天皇家を尊ぶ尊皇思想が広まっていました。
「もしも朝廷と幕府が戦うことがあったら、どうしたらよいのですか」
今度は、きっぱりと答えが返ってきた。
「朝廷に弓を引いてはなりません」
あまりに迷いない即答に、かえってたじろいだ。
「でも徳川御三家のわが家が、幕府に味方しなかったら」
「味方するなという話ではありません。朝廷に弓引かぬ方法を考えればよろしい」(『徳川最後の将軍 慶喜の本心』P.20より)
七郎麻呂はほかにも行儀作法など、さまざまな事柄を、耕雲斎から厳しく教え込まれました。
十一歳の秋、七郎麻呂は、御三卿の一橋家に養子に入り、十二代将軍家慶と謁見し、「慶喜」の名前を与えられました。
周囲から次の将軍と目されましたが、父への処遇から幕府に反感を抱いていて、将軍になる気は全くありませんでした。
嘉永二年(1849)年三月には斉昭の謹慎は解かれましたが、嘉永六年夏には、斉昭の恐れていたペリーの黒船が来航しました。
一気に激動の時代に突入していきます。
慶喜は、その激流に巻き込まれていきます。
「誰も生まれてくる家を選べぬ。そなたは水戸徳川家に生まれて、一橋徳川家に養子に入った。そのうえ文武に秀でている。顔立ちもよいし、体も丈夫だ。そなたは選ばれし者なのだ。そこまで恵まれた身を、黒船来航後の苦難の今、生かそうとは思わぬのか」
「思いませぬ」
「そなたは日本を見捨てる気か。そこまで腰抜けとは思わなかった」
「腰抜けと言われようと、なんと言われようと、できぬものは、できません。結果として、できなければ、最初からやらないのと、どこが違うのですか」(『徳川最後の将軍 慶喜の本心』P.35より)
慶喜は、父斉昭に自分を将軍継嗣にという動きを止めるように伝えました。
著者は、歴史の中で敗者側にあって、正当に評価がされていない者や誤解されている者に光を当てた、歴史時代小説を数多く発表されています。
戦況分析ができずに臆病にかられて敵前逃亡を行うような暗君なのでしょうか。
それとも、諸外国から日本を護るため、薩長と幕府による内乱の拡大を避けて、帝のもとで一つにまとめるために動いた英雄なのでしょうか。
幕末から維新にかけての慶喜の言動の一つ一つが、時代を冷静に読み、ある信念によってもたらされたものであることがわかったとき、その生き様に魂が震える思いがしました。
幕末に活躍した会津藩主・松平容保の生涯を描いた、『会津の義 幕末の藩主松平容保』とは、立場の違いが明らかになっていて、興趣を覚えます。
本書では、渋沢栄一が重要な役割で登場する点も、「青天を衝け」ファンにはうれしいところです。
徳川最後の将軍 慶喜の本心
植松三十里
集英社 集英社文庫
2021年7月20日初版発行
カバーデザイン:木村典子(Balcony)
イラストレーション:ヤマモトマサアキ
●目次
一章 山城育ち
二章 蚊帳の外
三章 暗き座敷
四章 火消し組
五章 火中の栗
六章 騒擾の都へ
七章 事変ふたたび
八章 天保山沖
九章 二条城と大坂城
十章 漆黒の海
十一章 江戸開城
十二章 シャンデリア
解説 村井重俊
本文349ページ
文庫書き下ろし
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『徳川最後の将軍 慶喜の本心』(植松三十里・集英社文庫)
『会津の義 幕末の藩主松平容保』(植松三十里・集英社文庫)