『江戸彩り見立て帖 色にいでにけり』|坂井希久子|文春文庫
坂井希久子さんの連作時代小説、『江戸彩り見立て帖 色にいでにけり』(文春文庫)を入手しました。
その昔、DTP(デスクトップパブリッシング)が普及する前、広告の申込はがきの版下に、DICのカラーガイドから色見本を切り取って、刷色指定をしていたことがありました。
通常は3冊組の色見本帳から1色を選んで指定をするのですが、ときに「フランスの伝統色」や「日本の伝統色」の見本帳から色を選ぶことがありました。
「日本の伝統色」では、すべての色に和名が付けられていました。
「萌葱色」「桜鼠」「猩々緋」「瑠璃色」など、一瞬仕事を忘れて、名前とその色味を眺めることがありました。
今は、Webで気軽に眺めることができ、画像処理ソフトやホームページで、簡単にその色を再現できるようになりました。
貧乏長屋に光を喪った元摺師の父と住むお彩は、天性の鋭い色彩感覚を持っていた。その才能に目をつけた謎の京男・右近。右近の強引さに反発しつつも、お彩は彼が持ち込む難題を次々に色で解決していく。新作菓子の意匠から花魁の仕掛けの図案まで、豊かな色彩溢れる江戸のカラーコーディネーターとして活躍するお彩の人情物語。
(『江戸彩り見立て帖 色にいでにけり』カバー裏の紹介文より)
二十三歳のお彩は、日蔭町の裏店で、元摺師の父・辰五郎と二人暮らし。
腕のいい摺師で五人も弟子を抱えていた父は、二年前に作業場から出た火事で煙に巻かれて、目を痛めて失明しました。
作業場と隣接していた自宅は全焼し、辰五郎が目の光を失ったことにより、一番弟子の卯吉をはじめ弟子たちは去り、再起はかないません。辰五郎は、一日中家の中でろくに動かず寝てばかりいて、「俺ぁ正気でいたくねぇんだ」と酒ばかりを飲んでいました。
母親はお彩が物心つく前に他界していて、ずっと二人で生きてきました。こんなに腑抜けてしまった父を支えるのは自分だけと思っています。
父がいる限り、他に嫁ぐこともできず、今では身なりも構わぬ行き遅れとなっていました。
紺青、瑠璃、群青色、瓶覗に白練、鴇羽色と茜色。空に見つけられる色は、数限りない。それから問屋の甍の鉄御納戸、漆喰の白、通行人はさらに思い思いの色を身につけている。
世の中は色鮮やかで、美しい。でも目に映る色をすべて混ぜ合わせたなら、きっと黒が勝つだろう。
頭の片隅でそんなことを考えながら歩いていたら、目の前に琥珀色が迫ってきた。
(『江戸彩り見立て帖 色にいでにけり』 P.13より)
本書では、日本の伝統色で表現されるような、江戸を彩る色彩豊かな風景が次々に綴られていきます。
ある日、南伝馬町の絵草紙屋の近くで、団子の串を持った上方訛りの、京紫の縮緬を着た怪しげな男に話しかけられました。
「江戸のお人って上方に比べて、着ているものが地味ですやろ。若い娘さんでさえ、茶色や鼠色のべべ着てはる。ほら、あんさんかて」
男がお彩の肩口に目を留める。夏が去り袷の季節になったばかりで、御納戸色に細い媚茶の縞が入った一張羅を身に着けていた。
「失礼な。地味ではなく、粋というのです」
どちらも江戸っ子には人気の色だ。重ね着をして裾から紫の小紋と紅絹の襦袢を覗かせればもっと粋だが、今の暮らしにそれほどの余裕はない。
(『江戸彩り見立て帖 色にいでにけり』 P.15より)
右近という名の男は、色に詳しいみたいなお彩に、自分の着物にお勧めの色はあるかと聞いてきました。
以来、右近は、大奥の茶会に出す新作菓子の色味の相談だったり、大店の若旦那と見合いをする小間物屋の娘の着物を見繕ったりと、色選びに関わる難題を持ち込まれます。
正体不明の右近を警戒し、その強引さに反発しながらも、元摺師の父のもとで多くの浮世絵を見て培われた、生来の色彩感覚で、解決していきます。
お彩は、右近に導かれるように、色をめぐって悩んでいる人に彩りの見立てをして、次第に評判を得るようになっていく、江戸の職業小説です。
また、価値観や生活習慣の違いによる、江戸娘お彩と京男右近のやり取りも楽しく、人情味あふれる物語のファンになりました。第2作が楽しみです。
江戸彩り見立て帖 色にいでにけり
坂井希久子
文藝春秋・文春文庫
2021年6月10日第1刷
装画:丹地陽子
デザイン:野中深雪
●目次
色にいでにけり
色も香も
青楼の春
黒闇闇の内
紅嫌い
本文233ページ
初出:『オール讀物』2019年8月号、12月号、2020年5月号、8月号、11月号
本書は、文春文庫オリジナル。
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『江戸彩り見立て帖 色にいでにけり』(坂井希久子・文春文庫)