『しのぶ彼岸花 上絵師 律の似面絵帖』
知野みさきさんの文庫書き下ろし時代小説、『しのぶ彼岸花 上絵師 律の似面絵帖』(光文社文庫)を紹介します。
本書は、著者の代表作「上絵師 律の似面絵帖」シリーズの第7作になります。
別の仕事(銀行の内部監査員)を抱えながら、前作から11カ月ぶりの新作です。
主人公の律は、反物や染め物の上に絵を描く職人、上絵師(うわえし)をしながら、葉茶屋・青陽堂の跡継ぎの嫁として、若おかみを務めています。
葉茶屋・青陽堂の嫁として初めての新年を迎えた律。若おかみの務めと上絵師の仕事――その両立に励む折り、懐妊の兆しに気づく。喜びと不安に揺れる律に、女形の役者から着物の仕事が舞い込んだ。殺された倅の弔いに彼岸花を描いて欲しいというのだが……。義妹・香の出産、新たな似面絵にからむ事件など、悲喜こもごもの日々が描かれる人気シリーズ第七弾!
(『しのぶ彼岸花 上絵師 律の似面絵帖』カバー裏面の説明文より)
嘉永四年(1851)正月。
三十一人の奉公人を抱える青陽堂の嫁として初めての新年を迎えた律。
江戸の商家の行事やしきたりが事細かに描かれていて、興味深いです。
とくに藪入り(やぶいり)という商家に勤める者にとって、一年のうちで最も楽しみな一日が描かれていることに目が留まりました。
奉公人たちが心待ちにしている藪入りまであとほんの二日だ。
朱引の外からきている奉公人はもちろんのこと、市中の家にも浅草海苔は軽くていい土産だった。ゆえに、常から浅草海苔を土産とする者が幾人かいて、これまでは丁稚の一人にまとめて買いに行かせていたのだが、律の弟・慶太郎の友である弥吉が長谷屋で働くようになったため、涼太が律に遣いを頼んできたのである。(『しのぶ彼岸花 上絵師 律の似面絵帖』P.37より)
藪入りは、商家などに住み込みで奉公している丁稚や手代、女中など奉公人が実家へと帰ることを許された休日のこと。旧暦1月16日と旧暦7月16日がその日に当たっていました。
厠に飛び込み、ひとしきり戻してしまうと、追って来た涼太が戸の向こうからおそるおそる声をかけた。
「なぁ、お律。お前もしや……」
「そうみたい」
「えっ?」
「どうも、身ごもったみたいなんです」
「そ、そうか。そうなのか」
一瞬の沈黙ののち、慌てて佐和を呼ぶ涼太の声が廊下に響いた。(『しのぶ彼岸花 上絵師 律の似面絵帖』P.87より)
律は、身ごもったことで青陽堂との絆がより深まって、嫁としてようやく一人前になったような気がしました。
そんな律に、歌舞伎の女形の役者・片桐和十郎から、着物の注文がありました。
彼岸花を描いた袷を仕立てほしいと希望を伝えました。
彼岸花は、弔いの花や死人花とも、火事花や毒花とも呼ばれ、世間では概ね「不吉」な花とされていました。
和十郎は、殺された倅を悼むための着物だとも言いました。
どんな注文もこなしてこそ一人前と思った律は、「是非、描かせてください」と注文を受けました。
妊娠して生活が大きく変わる中で、難しい題材に取り組む律の上絵師としての仕事ぶりが描かれていきます。
その一方で、お上の捕物の助けをする似面絵師でもある律は、自身が描いた似面絵がもととなり、ある事件に巻き込まれてしまいます。
懐妊して家族の絆を実感する律、仕事に一途に取り組む律を描きながら、思いがけない事件が次々と起こり、目の離せない展開に一気読みしてしまいました。
律の仕事ぶりのように丹精込めた職人技で、読後に深い余韻が残り、このシリーズがかけがえのない大切なものなりました。
しのぶ彼岸花 上絵師 律の似面絵帖
知野みさき
光文社 光文社文庫
2021年5月20日初版1刷発行
文庫書き下ろし
カバーイラスト:チユキクレア
カバーデザイン:荻窪裕司
●目次
第一章 藪入りにて
第二章 真情心中
第三章 悪徳駕籠屋始末
第四章 しのぶ彼岸花
本文337ページ
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『落ちぬ椿 上絵師 律の似面絵帖』(知野みさき・光文社文庫)(第1作)
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