『天下一のへりくつ者』|佐々木功|光文社
佐々木功(ささきこう)さんの長編歴史時代小説、『天下一のへりくつ者』(光文社)を紹介します。
実は、これまで北条家を苦手としていました。
北条五代(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)を順に並べるのも、ちょっと怪しい体たらくぶり。「氏」の付く名前が多い主君以外の北条一族にも混乱しています。
信長、秀吉、家康の三英傑中心の、多くの歴史時代小説、大河ドラマの洗礼を浴び、北条一族については情報量不足なんです。
そんな私でしたが、本書で、北条びいきに変わりました。
天正十八年(一五九〇)、北条家当主・氏直とその家臣たちは、小田原城にて連日評定を行っていた。天下のほぼ全てを手中におさめた豊臣秀吉の大軍勢に城は囲まれ、北条家の命運は今や風前の灯火。誰もが策を見いだせず諦めかける中、亡き北条氏康の寵臣にして小田原一のへんくつ坊主侍・板部岡江雪は動き出す。
舌先一つでコロリと人を動かし、奇縁を生み出し、天下をひっくり返す! これが戦国最後の秘策だ!!
(カバー帯裏面の説明文より)
天正十八年(1590)五月、北条氏政と氏直が籠城する小田原城は、豊臣秀吉率いる未曾有の大軍に包囲されて、絶体絶命の状況でした。
本書の主人公、板部岡江雪(いたべおか・こうせつ)は、北条氏康・氏政・氏直の三代に仕えた重臣です。
寺で修行中に能筆を氏康に見いだされ、右筆として取り立てられました。
氏康は、江雪の筆のみならず、その弁才と博識を愛し、重臣板部岡家を継がせて与力の侍衆に取り立てました。
江雪は、口の悪さから氏康の子氏政には敬遠されて、武州岩付城主太田氏房付きとされ厄介払いされていましたが、籠城する小田原城に呼び寄せられていました。
氏政の子で若き当主・氏直は、江雪を「爺」と呼んで慕っていました。
「拙者は、先ほど、こう言うた。生き残る者は、天下人と、それを支える者、と」
江雪は氏直の強い眼光をそのまま受け、見つめ返す。瞳は爛々と輝き、頬は紅く色づく。この偏屈坊主も全身から熱を放っている。
「それはこうとも言う。天下人を討つ者が、生き残る」
氏直は、うむ、と深く頷く。
「天下人を討てば、天下人。確かに北条は天下に乗り遅れ、追い込まれた。しかし、天下の兵を集めたこあらこそできる天下取りのいくさもある。爺の力でお屋形様を天下人にして差し上げよう」
江雪の声は揺るぎない決意に満ちている。(『天下一のへりくつ者』P.65より)
夜半、江雪は若当主、北条氏直に本丸主殿の奥書院に呼び出されました。そこには、韮山城を抜け出してきた氏政の弟、氏規もいて、三人で密議を交わしました。
隠居氏政の側に控えるだけだった氏直は武将として覚醒し、江雪は、落城を待つばかりの籠城で、新たな楽しみを見つけました。
江雪は、風魔の小太郎、黒田官兵衛、利休らを舌先一つで動かし、絶体絶命をひっくり返す秘策を練り上げました。
督姫の頬は橙色に染まり、大きく手を振る。燦々たる朝の陽に照らされて、小さな顔が輝いた。
二人、啞然と地上から見上げる。
「爺、頼りにしておりますよ!」
透き通るような声を張り上げて、姫は叫ぶ。
あまりに無邪気な、純朴なその姿は、天空から舞い降りた天女を思わせる。(『天下一のへりくつ者』P.79より)
督姫(とくひめ)は、徳川家康の息女で、天正十一年に北条と徳川が同盟するにあたり、氏直のもとに嫁してきました。(この嫁入りの段取りをしたのも江雪でした。)
徳川が北条と手切れをし、ある意味人質になっていましたが、氏直と仲睦まじく、「私は北条の者」と明るく城内を駆け廻っています。
キュートな督姫の存在が絶体絶命の中で、一服の清涼剤のようなアクセントとなっています。
江雪が着々と秘策を練り上げ、多くの者を巻き込んで、実行に移していくスリリングな展開の物語から目が離せなくなりました。
稀代の奇人武将が無双の活躍をする、このエンタメ歴史小説を読んで、私も、北条びいきになりました。
火坂雅志さんと伊東潤さん共作の『北条五代』をはじめ、もっともっと、北条家を描いた歴史時代小説が読みたくなりました。
天下一のへりくつ者
佐々木功
光文社
2021年1月30日初版第1刷発行
装幀:坂野公一(welle design)
装画:獅子猿
●目次
序章 天正十七年二月、沼田裁定
一章 小田原城
二章 策士二人
三章 秘策、成る
四章 決行
五章 関ヶ原
本文339ページ
本書は書き下ろしです。
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『天下一のへりくつ者』(佐々木功・光文社)
『北条五代(上)』(火坂雅志・伊東潤・朝日新聞出版)