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「私は……東洋の魔女」二つの東京五輪がつなぐ三世代の物語

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『十の輪をくぐる』|辻堂ゆめ|小学館

十の輪をくぐる辻堂ゆめさんの現代小説、『十の輪をくぐる』(小学館)をご恵贈いただきました。

実は本書を読むまで、著者の他の作品を読んだことがなく、存在を全く知りませんでした(慌ててプロフィールを確認しました)。

2014年、東京大学法学部に在学中に、「夢のトビラは泉の中に」(単行本刊行時に『いなくなった私へ』に改題)で第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して作家デビュー。ミステリー作家として活躍されてきて、本書が初の「非ミステリー」で、異なる作風に挑戦し新境地を拓く作品です。

本書は、「十の輪」=「二つの五輪」を意味するように、1964年と2020年の2回の東京五輪をめぐる、三世代で構成されるある家族の物語。

スミダスポーツで働く泰介は、認知症を患う80歳の母・万津子を自宅で介護しながら、妻とバレーボール部でエースとして活躍する高校2年生の娘とともに暮らしている。あるとき、万津子がテレビのオリンピック特集を見て「私は……東洋の魔女」「泰介には、秘密」と呟いた。泰介は、九州から東京へ出てきた母の過去を何も知らないことに気づく――。

(カバー袖の内容紹介より)

佐藤泰介は、スポーツクラブを運営している大手フィットネス事業会社に勤務する五十代後半の中年社員。
五十五で役職定年を迎えた後、パソコンが苦手にもかかわらず、マーケティング企画部のデータアドミニストレーション課に配属され、二十代の若手社員と一緒に顧客属性データの突合やアンケート入力を行っています。

「リストはまだですか。午後一番の会議で使うので、お昼に行く前に仕上げていただかないと僕が困るんですが」
「それならそうと早く言ってくれよ」
「昨日お願いしたときに伝えましたよ」
 呆れたような物言いに、泰介の心の中で苛立ちのスイッチが入る。どうして三十代半ばの若造に、毎日嫌味な口調で指図されなければならないのだろう。

(『十の輪をくぐる』P.28より)

家では、八十歳を目前に認知症を発症した母万津子と、大学のバレーボール部で出会って結婚した五つ年下の妻由佳子、高校のバレーボール部で二年生エースとして東京都の代表として活躍する娘萌子の四人暮らしで暮らしています。

万津子は、一日の中でも、意識がはっきりして普通に喋れるようになったり、ぼんやりとしてソファから動こうとしなかったりと、大きく状態が変化し、介護が必要な状態です。

母の調子が悪いと泰介は苛立ち、母に当たり、専業主婦の由佳子と言い合いになります。
また、バレーボールの才能が開花し、企業からスカウトの話もある萌子に対して、バレーに打ち込みながら大成できなかった自分と比較して、やりきれない思いを抱いていました。

IT化された職場に適応できず、家でも孤立感を感じている、困ったお父さんといった設定です。
主人公との共通点を認めて、共感を覚える読者も少ないと思いました。とくに泰介と同世代の私にとって、この物語はグンと身近に感じられました。

そんなある日、テレビで各競技のオリンピックの日本代表選手たちの姿を見ていた万津子が、「私は……東洋の魔女」「泰介には……秘密」とテレビに向かって、謎の言葉を言い出しました。

自らの過去を語らない母から、昔の話を聞いた記憶がほとんどない泰介は、母の過去を知ろうと思い立ちました……。
泰介が幼い頃に父を亡くして、九州から東京に出てくる前の物語です。

本書では、2019年10月からの現在と、東京に五輪が決定する一年前の1958年から始まる過去が、交互に描かれていきます。

昭和三十年代(1960年代)の女性の取り巻く社会環境、そこに息づく人々の営みが、時代考証を押さえて物語の中で再現されています。史料を基に史実を重要なファクターとして取り込む、歴史時代小説の手法が取られています。

自身のルーツを探る泰介は、やがて大きな気づきを得ます。読者にも封印されていた万津子と泰介の過去がつまびらかにされていきます。
物語が二つの五輪に向かって収れんしていくにつれて、登場人物への思い入れが強まり、やがて涙腺が崩壊し、こぼれる涙が止まらなくなりました。

コロナ禍で2020年の五輪開催は1年延期されて、2021年にも開催されるかどうかわかりません。静かな年末年始を過ごす中で、五輪がもたらした家族の奇跡の物語はおすすめの一冊です。

著者には、いつの日か時代小説も書いてほしいとファンとして願っています。

十の輪をくぐる

辻堂ゆめ
小学館
2020年12月1日初版第1刷発行

Illustration:agoera
Bookdesign:albireo

●目次
なし

本文358ページ

「きらら」2018年11月号~2020年4月号(小学館)にて掲載し、残りを書き下ろしたもの。

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『十の輪をくぐる』(辻堂ゆめ・小学館)

辻堂ゆめ|小説ガイド
辻堂ゆめ|つじどうゆめ|作家 1992年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。 2014年、東京大学法学部に在学中に、「夢のトビラは泉の中に」(単行本刊行時に『いなくなった私へ』に改題)で第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞...