『天地に燦たり』
川越宗一さんの長編歴史時代小説、『天地に燦たり』(文春文庫)を紹介します。
本書は、著者のデビュー作で、第25回松本清張賞受賞作品。2019年に刊行した、長編2作目の『熱源』で第162回直木賞を受賞されました。
文庫版の解説では、本書の担当編集者で、文藝春秋「オール讀物」編集者の川田未穂さんが両賞の受賞時の様子を詳しく紹介されていました。本書誕生の秘話も織り込まれていて、興味深く読みました。
戦を厭いながらも、戦でしか生きられない島津の侍大将。被差別民ながら、儒学を修めたいと願う朝鮮国の青年。自国を愛し「誠を尽くす」ことを信条に任務につく琉球の官人。秀吉の朝鮮出兵により侵略に揺れる東アジアを、日本、朝鮮、琉球の三つの視点から描く。直木賞作家のデビュー作にして松本清張賞受賞作。
(本書カバー裏紹介より)
天正十四年(1586)七月、薩摩・島津の侍大将、大野七郎久高は、戦いの真っただ中にありながらも、戦いに倦み、「俺は、いつまでこんなことをしているのだろう」と自問を続けていました。
幼い頃から儒学を学んできた久高は、人は「天地と参(三)ナルベシ」と儒学で謂うことに疑問を抱き、自身はどのように戦うべきか悩んでしました。
――人ニシテ礼無ケレバ、能ク言フト雖モ亦禽獣ノ心ナラズヤ。
儒学の経典は説く。人は、そのままでは禽や獣と変わらない。食み合い、争い合い、奪い合う。礼を尽くし他者を敬愛して、はじめて人は人となる。
「礼」とは、儒学が最も重んじる博愛の心「仁」の実践。ただ人のみに可能な行い、人が人たる所以が、儒学に謂わせれば礼だ。
(『天地に燦たり』P.17より)
殺戮が手柄として貴ばれて、犬や畜生と言われても勝つことを本分とする戦国の世の武士。天地の間で殺し合いに駆り出されるほか、何の能も用もなく、礼は遥かに遠い存在であり、生きるほどに久高は人から遠のいていきました。
明鍾にとって生とは、静かに圧し掛かる理不尽の底で、死ぬまで呻吟するだけの次巻だった。だが、老人が明鍾に説いた世界は、もっと動的で、瑞々しかった。
「先生、俺に儒学を教えてくれませんか」
胸の熱は、そのまま願いとなった。
「儒学によって人になれるなら、俺は人になりたい。白丁のみんなに、みんなは人だと教えてやりたい。白丁の、聖人になりたい」(『天地に燦たり』P.57より)
朝鮮釜山の被差別身分・白丁出身の若者・明鍾(めいしょう)は、支配階層身分の両班の子弟たちにからかわれて喧嘩になったところを、儒学を教える老人「道学先生」に助けられました。老人から礼を学べば人となり、聖人にもなれると教えられて、道学先生の書堂(私学の塾)に入門して儒学を学ぶことになりました。
釜山は日本に対する唯一の開港地で、交易に来る日本人のために倭館と呼ばれる住居兼商館もありました。
翌日、老人への束脩代わりの酒を求めに市に出た、明鍾は、琉球から来た駆け出し商人の真市(まいち)と出会いました。そして、異国の酒で味の想像がつかずに、売れなくて困っていた琉球の酒を真市から買いました。
「なぜ正直に言うのです・
「相手に嘘をつきたくないからさ。なにせ吾が琉球国は『守礼之邦』。相手を軽んじる言動はしないんだ」
礼を守る邦。そんな煌びやかな国があるのか。明鍾は眩しさを感じた。昨日以来、「礼」の語は明鍾におって神聖な響きを帯びている。(『天地に燦たり』P.64より)
真市は、諸国の内情を探る密偵を役目とする琉球国の官人でした。
琉球国は、大明皇帝の臣下の「琉球国中山王」として冊封を受け付けていました。大明と日本を相手にしつつ、大明の数ある冊封国と交際し官貿易を行うことで大いに栄えていました。
ところが、ポルトガル、イスパニアにより商圏が荒らされ、大明は倭寇対策のために私貿易を認める方針に転換したことで、官貿易が衰える中で、日本には豊臣秀吉が権力者の地位に就き、薩摩島津家を介して執拗に服属を迫っていました。
物語では、国も階層も異なり、本来交わるはずがなかった、三人が戦国時代の終わりの日本による海外侵略の嵐が吹き荒れる中で出会い、対峙します。
侵略する者とされる者、攻める者と国を守る者、立場を異にしながらも、「礼」を信奉する三人の視点から、人を人たらしめるものである「礼」とは何かを明らかにしていきます。
異文化の相克と歴史のダイナミズムが瑞々しい筆致で描かれる歴史エンターテインメント作品です。
戦いが終わった南の島には、燦々たる光が降り注ぎ、爽やかな風が吹いていました。
天地に燦たり
川越宗一
文藝春秋 文春文庫
2020年6月10日第一刷発行
単行本『天地に燦たり』(2018年7月、文芸春秋刊)
イラスト:もの久保
デザイン:野中深雪
●目次
禽獣
異類
をなり神の島
天地と参なるべし
天下と四海
壬辰倭乱
碧蹄
万物生生
泗川
何ぞ死なざる
誠を尽くす
恃険与神
琉球入り
天地に燦たり
解説 川田未穂
本文398ページ
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『天地に燦たり』(川越宗一・文春文庫)
『熱源』(川越宗一・文藝春秋)