佐々木功(ささきこう)さんの文庫書き下ろし長編小説、『家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録』(ハルキ文庫)を献本いただきました。
著者は、2017年に『乱世をゆけ 織田の徒花、滝川一益』で第9回角川春樹小説賞を受賞しデビュー。天下のかぶき者前田慶次郎を描く『慶次郎、北へ 新会津陣物語』や『織田一の男、丹羽長秀』の著書があります。
元甲賀の忍びだったともいわれ、織田家に仕えるまでの前半生に謎が多い武将、滝川一益を描いたデビュー作は衝撃的でした。その後も、個性的な戦国武将に、新視点で光を当てた歴史時代小説を発表されています。
今こそ家康の求心力を高め、鉄の家臣団を作り上げる。それこそが徳川家を強くすることに繋がる。その要となる人物は「本多平八郎忠勝」しかいないと徳川家康は考えていた。甲斐の武田信玄が勢力を伸ばす中、遠江国二俣城をめぐり、争いは続いていた。先行した忠勝と武田軍が一言坂で激突した後、両軍は三方ヶ原で再び相見えることとなる。徳川勢八千に織田勢三千が加わった、総勢一万一千の部隊が、武田勢三万に挑む。常に激闘の中に身を置きつつも、生涯傷一つ負わなかったという徳川軍団随一の武者、本多平八郎忠勝を描くエンタテインメント歴史時代小説。
(カバー裏の内容紹介より)
本多平八郎忠勝は、徳川家康の側近で、江戸幕府の樹立に抜群の功績を立てた、酒井忠次・榊原康政・井伊直政とともに、徳川四天王と呼ばれることがあり、家康を描いた歴史時代小説では必ずといってよいほど登場するおなじみの人物です。
家康の多くの合戦に参戦したほか、本能寺の変が起きた後の、「伊賀越え」にも同行し信長の後を追おうと取り乱した家康を諫め、窮地を救いました。
「そうですな、まずはお家の変貌の象徴となる者の存在が必須かと」
「徳川家といえば、という要の強者がいるか」
「はい。それはもうおりましょうぞ」
家康と正信は顔を見合わせた。(『家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録』P.27より)
家康と側近の本多正信が、徳川家を強くするために白羽の矢を立てたのが本多平八郎でした。
平八郎は徳川家譜代の中でも古参の本多家の出身で、家康に重んじられ、元服と同時に引き立て、十九歳で旗本先手役の将として起用され、齢二十五にして、若手家臣の中でも一番の有望格でした。
忠勝は槍の名手として知られ、その愛槍は、飛んできた蜻蛉が刃に触れたら二つに切れたということから「蜻蛉切(とんぼきり)」と呼ばれていました。
でかい。やたら、でかい。半蔵守綱より頭一つ、下手をすると二つ分ほども、でかい。身の丈は六尺(百八十センチ)超え。そして、その手足の長さ太さ、骨格の雄大さが尋常ではない。
平八郎、正しくは、本多平八郎忠勝。
平八郎は、一歩踏み出す。それだけでも小山が動くかのような迫力である。
タンポ槍でも一番太く長いのをその手に握っている。
顔がまた異相だ。大きな目にさらに大きな鷲鼻、口元は見事な武者髭で覆われ、頑丈そうな顎がしゃくれて突き出ている。(『家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録』P.29より)
このとき、浜松城二の丸の馬場で、平八郎は、家康の旗本で「槍の半蔵」と呼ばれ家中屈指の槍士の渡辺半蔵守蔵と稽古仕合をしました。
圧倒的な存在感のキャラクターと、リズム感のある描写の連続で、物語に引き込まれていきます。
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と、対戦した敵将小杉左近から狂歌に詠まれた、平八郎の戦いぶりが本書で堪能できます。
家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録
著者:佐々木功
ハルキ文庫
2020年4月18日第1刷発行
文庫書き下ろし
装画:中野耕一
装幀:かとうみつひこ
●目次
序章 大坂夏の陣
第一章 一言坂の過ぎたるもの
第二章 合代島の忍び
第三章 決戦三方ヶ原
終章 偃武
本文453ページ
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『家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録』(佐々木功・ハルキ文庫)
『乱世をゆけ 織田の徒花、滝川一益』(佐々木功・ハルキ文庫)
『慶次郎、北へ 新会津陣物語』(佐々木功・ハルキ文庫)
『織田一の男、丹羽長秀』(佐々木功・光文社)