葉室麟さんの時代小説集、『津軽双花(つがるそうか)』(講談社文庫)を入手しました。
四万七千石津軽家の当主信枚(のぶひら)に嫁いだ石田三成の娘・辰姫と徳川家康の養女・満天姫(まてひめ)の女同士の戦いを描いた長編小説と、「大坂の陣」「関ヶ原の戦い」「本能寺の変」という戦国の終焉をテーマにした三つの短編を収録しています。
関ヶ原の戦から十年後、三成の娘・辰姫が津軽家に嫁ぐ。藩主の信枚と睦まじい日々を送るも、その三年後に家康の養女・満天姫が正室といて当主のもとへ。辰姫は上野国大舘へ移るが、のちの藩主となる長男を産む――ふたりの姫による戦国時代の名残のような戦を描く表題作ほか、乱世の終焉を描く短編も収録。
(文庫カバー裏の紹介文より)
表題作の「津軽双花」は、下総国関宿藩四万石、松平康元の娘で徳川家康の姪の満天姫が江戸城の天海僧正に呼び出されて、家康も同席して津軽信枚との縁談を勧められます。
信枚は、南部氏より自立して津軽地方を支配した為信の三男で、父の跡を継いで弘前藩二代藩主となります。
「〈関ヶ原合戦図屏風〉を与えれば満天姫は得心いたすはずではなかったのか」
天海はゆっくりと頭を下げて平然と答えた。
「納得されたのでございます。されば〈関ヶ原合戦図屏風〉を嫁入り道具とされて津軽家四万七千石、津軽信枚殿に嫁し、大御所様になりかわり、石田三成めの娘を退治に行かれるのでございます」
天海の言葉を聞いて家康は嗤った。
「満天姫はさようなことは思っておるまい。津軽信枚には正室がおり、満天姫がわしの養女として嫁せば、その正室を追い出すことになるのを心苦しく思っておるのだ」
(『津軽双花』P.13より)
二十五歳の満天姫は十一歳のとき、安芸の大名福島正則の養嗣子正之のもとに嫁し、十八歳で嫡男直秀を生しました。が、六年前に正之が養父から廃嫡されると直秀を伴って実家へと戻っていました。そんな満天姫に、天海は縁組話を持ち掛けました。
〈関ヶ原合戦図屏風〉は、関ヶ原の戦いのおり、土佐派の絵師が東軍に同行して描いた八曲二双の四隻三十二扇まである大屏風で、嫁入りに際して家康に所望したものでした。
時代は慶長十八年(1613)春。関ヶ原合戦の後も秀吉の遺児秀頼が大坂城にいて豊臣家が存続していました。仙台の伊達政宗の見張り役として、津軽信枚に期待を寄せる中での縁組話でした。
一方、津軽家に嫁した石田三成の三女辰姫は、豊臣秀吉の正室北政所の養女として津軽信枚に嫁していました。
正室となる満天姫と、側室に落とされて飛び地の上州大舘に移される辰姫。姫たちの関ヶ原のドラマに引き込まれていきます。
茶々に光を当てて大坂の陣を描く「鳳凰記」、三成の関ヶ原の戦いを描く「孤狼なり」、斎藤内蔵助利三が翔ける、本能寺の変を描く「鷹、翔ける」の短編3篇も見逃せません。
目次
津軽双花
鳳凰記
孤狼なり
鷹、翔ける
解説 諸田玲子
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『津軽双花』(葉室麟・講談社文庫)