遅い夏休みをとって、名古屋へ行ってきました。あいにくの雨模様の中、今回は、三重県の松阪市(まつさかし)まで足を延ばしました。
松阪は、名古屋から近鉄特急で70分ほどで、伊勢市の手前となります。ブランド牛肉「松阪牛(まつさかうし)」と、縞柄が特徴的な「松阪木綿」で知られる、歴史情緒ある町です。
松阪は、天正十六年(1588)、戦国武将の蒲生氏郷が四五百森(よいほのもり)に、松坂城を築城したことから始まります。氏郷は、旧領・近江の日野や伊勢大湊から商人を呼び寄せて、商人の町、松阪(松阪の名は明治22年の町村制の施行により松坂から表記が変更されましたが、便宜上「松阪」と表記します)の基盤を作りました。
松阪商人で最も有名な人物は、江戸本町一丁目に越後屋(後の三越)を開業し、「現金掛値無し」という画期的な販売手法で、三井財閥の基礎を築いた、三井八郎兵衛高利(みついはちろうべえたかとし)がいます。
生家の近くには、デパートの三越でおなじみのライオンの像も鎮座していました。
藍染の縞柄で知られる松阪木綿は、倹約令により華美な絹の着物が禁止された江戸で、大流行し、木綿を扱う太物問屋が並ぶ、江戸大伝馬町一丁目では、松阪商人の店が何店も軒を並べていた。歌川広重の「東都大伝馬街繁栄之図」の絵が、その様子は今に伝えています。
松阪を代表する偉人に、江戸時代の国学者・本居宣長がいます。宣長は、賀茂真淵に師事し、長年にわたり「古事記」を研究して『古事記伝』を著したほか、『源氏物語玉の小櫛』や『玉勝間』などの著作があります。
松阪城跡には、現在石垣しか残っていませんが、本居宣長の旧宅が移築され、本居宣長記念館が建てられています。記念館を訪問した時、ちょうど地元の小学生たちが課外授業で宣長の業績に講義を受けていました。
「御城番屋敷」で、公開住居を案内いただいたご子孫の方から、安政二年(1855)に起こった紀州藩田辺与力騒動の興味深いお話をうかがうことができました。
徳川家康の先鋒隊をつとめた横須賀党の出身で、元和五年(1619)に紀州藩藩祖頼宣の家臣として紀州藩の要地である田辺に遣わされた「田辺与力」22人が、田辺城主で紀州徳川家の附家老安藤家の家臣と決めつけられたことに、不満を訴えて暇乞いをして浪人となった事件です。公開住居にはその際の血判状のレプリカも展示されていました。
蒲生氏郷を描いた時代小説では、安部龍太郎さんの長編小説『レオン氏郷』をお勧めします。
本居宣長を描いた時代小説は思い浮かびませんが、小林秀雄さんの評論書『本居宣長』があります。
また、三井高利を描いた作品を挙げることも難しいですが、高田郁さんの『あきない世傳 金と銀(七) 碧流篇』で、主人公・幸が江戸店の開業に向けて奔走する姿は、相通じる部分があるように思われます。
主人公の店の名は「五鈴屋」ですが、松阪の町も宣長が愛用していた鈴をモチーフにしています。(マンホールの蓋にも四つの鈴が刻まれています)
今回の旅は、一年間頑張ってきたことのご褒美ということで、昼食は、牛銀本店で名物のすき焼を楽しました。
松阪出身の人物として、北海道の名付け親である、江戸時代の探検家・松浦武四郎がいます。その生涯を知るには、河路和香さんの時代小説『がいなもん 松浦武四郎一代』がお勧めです。竹川竹斎も登場します。
松浦武四郎記念館と松浦武四郎誕生地も松阪市内にありますが、松阪駅周辺から少し外れていたことから、今回は訪問できずに残念!
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『レオン氏郷』(安部龍太郎・PHP文芸文庫)
『本居宣長(上)』(小林秀雄・新潮文庫)
『あきない世傳 金と銀(七) 碧流篇』(高田郁・時代小説文庫)
『がいなもん 松浦武四郎一代』(河路和香・小学館)