北重人(きたしげと)さんの『汐のなごり』を読み終えました。「海上神火」「海羽山」「木洩陽の雪」「歳月の舟」「塞道の神」「合百の藤次」の六つの短編を収録した作品集です。
帆が風を捕らえたのだ。船脚が速まり、揺れが鎮まった。
「千世、見ろ」
吉太郎の声に、千世は艫を振り向いた。
大舟川の注ぎ口は遠ざかり、一帯で盛んに白波が立っている。水潟の町は、もう砂丘の陰に隠れて見えない。かわりに海羽山が、空に巨大な稜線を描き出していた。まるで、これから海を飛ぼうとする鵬が、ゆったりと羽を広げて憩うているようだ。溜息が出るほどの美しさであった。
(「木漏陽の雪」P.108より)
登場人物たちは異なりますが、いずれの話も共通して、羽前・酒田をモデルとした架空の湊町・水潟(みなかた)を舞台としています。物語を読み進めるうちに、頭の中に水潟の町のイメージが広がっていきます。ちょうど藤沢周平さんの時代小説における・海坂藩(うなさかはん)のように。
十太夫は道に立って川を眺めた。
河岸の向こうは、蘆の繁る大中洲である。
山居島と呼ばれるその中洲が、広大な大舟川から河岸を守っているようにも見える。河岸沿いを上手にたどれば、すぐに支流の小舟川が落ち合うところで、その向こうには酒出藩の東ヶ岡城がある。
(「歳月の舟」P.148より)
各短編の主人公たちはみな、中年から老境に入りかけた、大人たちです。いろいろなことを描いた短編集でありながら、全体を通しては、落ち着いたトーンの中に凛として美しさがあり、艶めかしいことを扱いながらも端正さを感じます。
・沖船頭の吉蔵を待ち続ける料理茶屋の女将志津(「海上神火」)
・五十年前に生き別れた兄を捜し求める古手屋の主人・喜三郎(「海羽山」)
・幼い頃に弟と叔母を失ったことに今も捕らわれる河岸問屋の隠居・千世(「木洩陽の雪」)
・三十年間、敵を捜し求める友と再会する水潟町奉行の十太夫(「歳月の舟」)
・二十数年ぶりに塞道の神を祀る家になった薪炭問屋の隠居・お以登(「塞道の神」)
・米相場を恣にし、米価を吊り上げ水潟の衆を困らせる男と、帳合米市場で対決する芳五郎(「合百の藤次」)
正義感を持って生き、日々の生活をまじめに送って者たちに許される、ほのかに明るい未来図が物語の先に描かれている感じがして、読了感が快いです。北国の春のような作品集です。
●目次
海上神火
海羽山
木洩陽の雪
歳月の舟
塞道の神
合百の藤次
友人、北重人君のこと 伊集院静
- 作者: 北重人
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2010/02/05
- メディア: 文庫
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『汐のなごり』
著者:北重人
徳間文庫
345ページ
本体629円+税
カバー画:川合玉堂「朝江炊煙」より(川合玉堂美術館所蔵)
カバーデザイン:菊地信義
舞台:羽前・水潟(架空の町)
時代:「海羽山」天保四年(1833)