宮本昌孝さんの『風魔』を読んだ。文庫は上・中・下巻の三分冊だが、読み出したら止められない、一気読みをさせてしまう面白さだった。宮本作品では、『剣豪将軍義輝』や『ふたり道三』の系譜に通じる、スケール感、エンターテインメント性が堪能できる作品である。
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戦国時代、とくに北条氏ものをこれまであまり読んでこなかったので、風魔の小太郎については、北条忍びの頭領というぐらいしか知識がなくて、キャラクターとして魅力が乏しく、親近感がもてなかった。
魁偉、というほかあるまい。
とてつもない巨人であった。(中略)
最もおどろくべきは、その異相であろう。茶色がかった毛、長い頭、深い眼窩と黒耀石のような玻璃光沢に富む双眸、高い鼻梁、両頬に深く切れ込む唇。南蛮人と見紛うばかりではないか。
しかし、混血ではなかった。父も死んだ生母も相州の人で、いずれも容貌尋常ある。
かくも破格の異形の者を、人の子とは誰も進ぜぬ。ゆえに、一党の人々は、小太郎をこうよぶ。
「風神の子」
(『風魔』上巻・P.11より)
しかし、本書の小太郎は風貌こそ、これまで伝承されてきたものを踏襲しているが、その性格や言動などはまったく違っていた。容貌に似合わずというか、スケールの大きさをそのままというか、快男児という言葉がピッタリくる、爽やかなスーパーヒーローである。
小太郎は武器をまったく使わず、太刀はおろか、小刀すら腰に刺さず徒手空拳で敵と闘う。
「おれは山で育った。山の獣たちは、刀も槍も弓矢も鉄炮も恃みとせず、おのれの五体のみを使って闘い、生きている」
(中略)
「では、小太郎どのは生涯、武器を恃みとせぬと言われるのか。そのような武士が、この戦国の世で生き残れるとは、それがしには到底思われぬ。
「おれは、ほかのものを恃む」
「武器のほかのものとは」
「人さ」
「……………」
またしても、右近は戸惑う。
「わが身のそばに、名刀が百振あるのと、親しき人がひとりいるのと、いずれが勇気が湧く。そして、いずれが楽しい」
と小太郎が穏やかに訊いた。
「それは……」
返答に窮する右近であった。
「おれは、刀が千振でも万振でも、人ひとりのほうがいい」
(『風魔』上巻・P.111より)
ああ、カッコいい。そんなふうに言われたら、この人に着いていこうと思う。ここで会話の相手になる右近は、名胡桃城主鈴木主水の息子の右近のことである。池波正太郎さんの『真田太平記』を読んだ人なら、ピンと来る、おなじみの人物。
さて、この『風魔』の作品の面白さ・美質は主人公の小太郎のほかにもある。それは、小太郎の敵役たちがいずれも凄腕でスーパーヒールばかりである。敵役たちと書いたとおり、ライバルは一人ではない。平将門の苗裔を自称する元風魔忍びの湛光風車、真田忍びの唐沢玄蕃、元武田水軍の神崎甚内(こうざきじんない)、甲賀忍びの多羅尾四郎兵衛。加えて、時の権力者である秀吉や家康、その裏の仕事を担う服部半蔵や柳生宗矩らが小太郎の前に立ちはだかる。小太郎は愛するものを守るために、それらと闘うことになる。
小太郎が愛するもの=人の代表である、北条氏の血を引く氏姫、女忍び・笹箒(ささばき)の二人のヒロインや、部下の鳶沢甚内、庄司甚内、秀吉の御伽衆の曾呂利新左衛門など、脇を固めるキャラクターも魅力的。
忍びの世界を中心とした伝奇的な展開ながら、秀吉時代の北条氏の滅亡から徳川幕府がその基盤を作るところまで歴史がしっかりと描かれていて読み応えがある。今年読んだ作品で一番のおすすめである。
コメント
宮本昌孝氏の著作、まだ読んでおりませんが、雰囲気が敬愛する故隆慶一郎を思わせる感じを持ちました。是非一度読んでみたい。