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戦国時代のはじまり、応仁の乱

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学生時代に日本史の授業で、応仁の乱(応仁元年・1467年)以降、政治が乱れて足利幕府が弱体化し、戦国時代に突入したというような講義を受けた。応仁の乱から信長の登場まで100年近くあったこともあり、ピンと来なかった。

その後、「時代小説SHOW」で時代小説年表を作ったときも、戦国時代の始まりを応仁の乱に設定したが、どうも収まりの悪さを感じていた。武田晴信(信玄)が父信虎を駿河に放逐する享禄十年(1541年)ごろまで、読破した時代小説がほとんどなく、スカスカ状態だった。

今回、宮本昌孝さんの『ふたり道三』を読んで、初めて応仁の乱が戦国時代につながるきっかけとなった出来事であることを実感した。八代将軍義政の後継をめぐり、弟・義視と嫡男・義尚が争い、その後ろ盾として、幕府内で権力を二分する、細川勝元(義視方・東軍)と山名宗全(義尚方・西軍)がつき、これに斯波・畠山両氏を筆頭に諸大名家の内訌が複雑に絡み合って、応仁の乱へと発展する。義尚擁立に義政の正室で母の日野富子が強く働きかけるという図式。

興味深いのは、乱の途中で東西両軍の御輿である義視と義尚が入れ替わることである。そして、大乱勃発から六年後の文明五年(1473年)、両軍の巨頭、宗全と勝元が相次いで病死した年の暮れ、義尚が九代将軍に補任される。

応仁の乱により、幕府の政治力も衰退し、京の都がすっかり荒廃してしまうとともに、裏切りや憎しみ、疑念の果てに人心も乱れていく。こうした背景の下で、戦国の雄たちが力を発揮できるようになる。

武士というと、主君に忠義を尽くすというイメージがあるが、これは江戸時代になって徳川幕府によって確立されたもの。江戸より前は、力のある者に従うというのが普通の考え方ではなかったかと思われる。逆にいえば、江戸幕府では、武家諸法度や参勤交代など、さまざまな手段を通じて、忠義の精神を一般化させるのに腐心したといっていい。

武士の思想の変化に注目するのも、戦国時代小説と江戸時代小説をそれぞれ味わう際のポイントの一つになるだろう。

ふたり道三〈上〉 (新潮文庫)

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