夏休みを利用して南東北を旅しました。福島県の岳温泉で宿泊した後、福島駅を経由して、山形駅に向かいました。
山形には、戦国武将最上義光(もがみよしあき)のイメージがあります。
義光は、伊達政宗の伯父(政宗の実母が妹・保春院義姫)で、関ヶ原の戦いでは東軍につき、上杉景勝の重臣直江兼続と戦いを(長谷堂合戦)繰り広げました。その軍功により、57万石まで領土を広げ、山形の礎を築きました。
娘の駒姫は豊臣秀次の側室となりますが、15歳のとき、京・三条河原で処刑されるという、悲劇的な最期を迎えたことで知られています。
最上義光歴史館では、義光と最上家について学ぶことができました。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の原田芳雄さんの怪演により悪役のイメージのあった義光ですが、実際は文化的な素養もあり、地元で愛される名君だったようです。
最上義光を描いた時代小説では、天野純希さんの『北天に楽土あり: 最上義光伝 (徳間時代小説文庫)』があります。
『さむらい道 上・下』は、山形市在住の作家高橋義夫さんによる、渾身の長編歴史小説です。
駒姫をヒロインした時代小説では、武内涼さんの『駒姫: 三条河原異聞』を押さえておきたいです。
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最上義光歴史館に隣接する形で、義光の居城・山形城跡「霞城公園」があります。
最上家は義光の死から九年後の元和八年(1622年)に御家騒動の末に改易となります(最上騒動)。最上家は五千石の交代寄合として明治維新を迎えます。
山形は、最上家の後には、関ヶ原合戦の前哨戦となった伏見城の戦いで勲功著しい鳥居元忠の嫡子・鳥居忠政が入部します。その後、保科正之、松平家、奥平家、堀田家、秋元家など譜代大名家が入り、天保の改革に失敗した水野忠邦の子の忠精が遠江国浜松藩より左遷され、幕末まで水野家が治めることになります。
霞城公園にある、国宝指定の日本最大級の土偶がある山形県立博物館と、明治時代に建造された四層楼の洋館、山形市郷土館(旧済生館病院本館)も見学しました。
初代山形県令を務めた三島通庸(みしま みちつね)は、自由民権運動を徹底して弾圧し鬼県令として悪評がありました。しかし、山形では道路・橋梁整備と済生館病院などの公共施設の建築を進め、地域の発展に寄与した恩人として扱われていることを知り興味深かったです。
⇒最上義光歴史館
⇒山形県立博物館
⇒三島通庸|ウィキペディア
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『北天に楽土あり: 最上義光伝 (徳間時代小説文庫)』(天野純希)
『さむらい道 上 – 最上義光 表の合戦・奥の合戦』(高橋義夫・中央公論新社)
『駒姫: 三条河原異聞』(武内涼・新潮社)