北海道の名付け親、人間愛に満ちた冒険家の生涯
河治和香(かわじわか)さんの時代小説、『がいなもん 松浦武四郎一代』(小学館)を紹介します。
著者の河治さんは、東京都葛飾区柴又生まれで日本大学芸術学部卒業。日本映画監督協会に勤めるかたわら、三谷一馬氏に師事して江戸風俗を学びます。2003年に『秋の金魚』で、第2回小学館文庫小説賞受賞しデビュー。「国芳一門浮世絵草紙」シリーズや、『どぜう屋助七』などの著作があります。
幕末、咸臨丸で渡航した、江川太郎左衛門門下の二人の男に揺れる女を描いた、デビュー作の『秋の金魚』を読んで以来、ずっと気になっている時代小説家の一人です。
明治十六年。六十六歳の今も矍鑠としている松浦武四郎は、絵師の河鍋暁斎の家にやって来ては、暁斎の娘の豊に昔語りを始めるのだった……。
武四郎は、文化十五年に伊勢国一志郡須川村、今の三重県松阪に生まれた。早くから外の世界に興味を持ち、十六歳で家出する。その後は、蝦夷地をはじめ日本全国を歩いた冒険家として、また“北海道の名付け親”として知られる。
蝦夷地は六回も訪れ、アイヌと親しく交わり、九八〇〇ものアイヌの地名を記した地図を作り、和人による搾取の実態を暴いて公にしたため、命を狙われた。
そして、〈北海道〉は最初の提案では、〈北加伊道〉だったという。そこにはアイヌの人々に対して籠められた武四郎の思いがあった。蝦夷地通として、吉田松陰や坂本龍馬にも相談に乗っていた。
古銭をはじめとして一流の蒐集家であり、古希の記念に富士登山をしたり、葬儀の一部始終を記した遺言状を作ったり、一畳敷の茶室を自分の棺にしようとしたり、〈終活〉にも達人ぶりを見せていた。
今年(2018年)は、松浦武四郎(まつうらたけしろう)の生誕200年で北海道命名150年の記念の年にあたります。
「北海道の名付け親」として知られる、松浦武四郎を描いた時代小説には、佐江衆一さんの『北海道人 松浦武四郎』があります。幕末を舞台に、蝦夷探検家時代の武四郎にスポットを当てた、物語性の高い作品です。(絶版になっていて入手が難しくなっていますが、おススメの一冊です)
一方、本書は、老境に入って益々精力的な武四郎が、絵師河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の十六歳になる娘・豊(とよ)を相手に、少年時代からの破天荒な半生を回顧する形で綴られていきます。
「ゴインキョさん、おいくつですか?」
「当年、六十六だ。わしはな、七十になったら富士山に登るのが夢なんじゃ」
この時代の六十六といえば、ふつうはほとんどが腰が曲がったヨボヨボの老人であった。その中で、松浦老人は勇気凛々、すこぶる元気である。気力が充実している。声が馬鹿でかいのは、肺活量も大きいからだだろう。
(『がいなもん 松浦武四郎一代』P.11より)
武四郎は、十三歳のときに、伊勢の大商人・竹川竹斎から〈神足歩行術〉と呼ばれる速歩術を授けてもらい、一日に二十里を歩けるようになりました。〈神足歩行術〉を体得したことで、武四郎の行動半径が広くなり、蝦夷の大地を一日中歩き回っても平然としていられる、鉄の足を持つようになりました。
竹斎からは、世界地図〈新訂万国全図〉を見せてもらい、蝦夷地の広大さに目を見開かされます。そして十六歳のとき、道具屋で懐中羅針盤を手に入れると、旅に出たい思いにかられて家出をします。
「結局、松浦先生が、はじめて津軽海峡を渡ったのは、いつのことだったんですか?」
豊は、足の速い松浦老人に遅れまいと懸命に歩きながら気を掛けた。老人は、放しながらだと、さすがに歩調がゆっくりになるのである。
「弘化二年のことじゃったよ。わしは二十八歳だった」
当時の蝦夷地は、松前の周辺部だけが〈和人地〉として松前藩が治め、その他の広大な地域との間には関所が置かれ、出入りの際には人別改めが行われていた。蝦夷地は松前を中心に、東蝦夷地と西蝦夷地の東西に分かれていたのである。
(『がいなもん 松浦武四郎一代』P.106より)
武四郎、蝦夷地を訪れるたびに、アイヌたちと行動を共にするようになり、純朴な彼らを搾取する和人たちの振る舞い、そしてアイヌたちの悲惨な境遇、惨状を知り、強い怒りを覚え、アイヌのために何か行動をせずにはいられなくなります。
その一つが、アイヌの言葉、アイヌの地名を文字で書き残すことでした。その数、九千八百。
「意見書には、あえて〈北加伊道〉と、カイの字は別字をあてた。〈加伊〉は〈カイ〉の変体仮名じゃ。いずれにしても三文字の〈北海道〉になるとわかっておったからのぅ」
「だったら、はじめから〈北海道〉にしておけばよかったのに」
聞いていた豊は、首を傾げて尋ねた。そこが松浦先生の一筋縄ではいかないところだ。
「いや、わしがわざわざ〈海〉を〈カイ〉としたのは、わけあってのことだったのじゃ」
(『がいなもん 松浦武四郎一代』P.260より)
河鍋暁斎に〈北海道人樹下午睡図〉という大作の絵の依頼をしてその進捗確認のために、暁斎の屋敷に入り浸っていたり、吉田松陰や坂本龍馬、西郷隆盛ら志士たちとの交流したり、また、命を狙われる危機、明治に入ってからの暮らしぶりなど、武四郎に関する興味深いエピソード、誰かに話したくなる話がてんこ盛りです。
そんな中でも、蝦夷地で行動をともにした、ソンという名のアイヌと和人の混血児との交流は時には笑い、時には泣け、ジーンと胸に迫ります。
奇人ながらも、傑物で、周囲の人を惹きつけずにはいられない魅力的な人物、松浦武四郎の実像に触れることができる興味深い作品です。「がいなもん」とは、伊勢のほうの言葉で、途方もない、とてつもないの意味だそう。
(読了後に、本書で知ったがいなもんなことを思わずググりまくりました)
なお、NHK札幌放送局の制作で、北海道150年記念ドラマ 「永遠のニシパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」が2019年の春に放送されるそうです。
大石静さんの脚本で、松本潤さん、深田恭子さんらが出演のこと。
◎書誌データ
『がいなもん 松浦武四郎一代』
著者:河治和香
小学館
初版第1刷発行:2018年6月13日
ISBN978-4-09-386510-4
本体1700円+税
装丁:bookwall
装画:りんたろう
317ページ
●目次
一、武四郎、世界を知る
二、武四郎、出奔す
三、武四郎、諸国を放浪す
四、武四郎、北をめざす
五、武四郎、アイヌと出会う
六、武四郎、狙われる
七、武四郎、国事に奔走す
八、――秘めおくべし
九、武四郎、雌伏す
十、武四郎、北加伊道と名付く
十一、武四郎、終活に邁進す
あとがき
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『がいなもん 松浦武四郎一代』(河治和香・小学館)
『秋の金魚』(河治和香・小学館文庫)
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