植松三十里(うえまつみどり)さんの『繭と絆 富岡製糸場ものがたり』(文藝春秋)を読みました。十四歳で富岡製糸場の工女第一号となった尾高勇(おだかゆう)の青春を描いた明治時代小説です。
中山道深谷宿の北にある下手計村に暮らす尾高勇は、富岡製糸場の場長を務める父・惇忠の命で、製糸場の工女を出ることになった。フランス人の御雇い外国人を指導者に招いて建設された製糸場に年頃の娘を奉公に出す家はなく、工女のなり手がいなかったのだ。
父に決まったばかりの縁談を反故にされ、だますように強引に富岡に連れてこられた勇は反発しながらも、父と工女集めの旅に出る……。
本書は、明治五年、富岡製糸場ができたばかりのころの物語です。初代場長の尾高惇忠は、以前は名主のかたわら若者のための塾を開き、その後、幕府方として官軍と戦った過去を持っています。大蔵省に出仕していた従兄弟の渋沢栄一に口説かれて、新政府の製糸場に勤めることになります。
「富岡の工女も、充分に修業した後に、どこか別の製糸場で、工女頭になることもできるでしょうし、富岡にいたことを誇りにして、いい嫁ぎ先を見つけてもよいでしょう。ちにかく女の奉公先として、この上なき場にすべきです」
大奥を手本にするとは、照だからこその発想であり、惇忠も頭を下げた。
「わかりました。世の中の娘たちが、先を争って奉公に出たがるような、理想的な製糸場を目指しましょう。その方法は、おいおい考えます」
製糸場と聞くと、昔の映画「ああ野麦峠」に描かれた女工哀史の世界を想起しますが、富岡製糸場は当時のエリート子女の育成機関だったんですね。キリスト教に基づいた週七日制で日曜休み、年末年始と盆の長期休暇があったりと、とても先進的でした。
二百人余りの工女たちで操業を始めた製糸場で、勇は所長の娘ということで特別扱いされていると妬まれたり、意地悪をされたりします。また、不器用ながら真面目な娘・敬と励まし合って友情を育んでいきます。
明治天皇の皇后さまのご行啓や、万国博覧会への生糸出品などのビッグイベントを通じて富岡製糸場の評価は高まっていきます。年端もいかない娘たちが明治日本の威信回復のために奮闘する姿とともに、その青春模様が清々しく描かれています。
工女といえば、2015年9月5日付の日本経済新聞朝刊の連載「ヒロインは強し」で、筆者の木内昇(きうちのぼり)さんが、『富岡日記』を残した松代藩士の娘・和田英を紹介していました。勇とは同時代の人で、富岡製糸場を辞めた後、日本初の民営機械製糸場・六工社に参加し技術教師として活躍しました。
数年前に富岡製糸場を訪れたことがありますが、その時資料も読んだはずなのに、うかつにも初代場長の尾高惇忠のことも、第一号工女の尾高勇のことも印象に残っていなかったです。本書を読み、もう一度富岡を訪れてみたいと思いました。
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『繭と絆 富岡製糸場ものがたり』