『春立つ風』|あさのあつこ|光文社
あさのあつこさんの「弥勒」シリーズの第13巻、『春立つ風(はるたつかぜ)』(光文社)を紹介します。
この「弥勒」シリーズは、鬼神のような鋭い洞察力をもつ定町廻り同心・木暮信次郎と、人情に厚く経験豊富な岡っ引・伊佐治が殺人事件を追いながら、元刺客で現在は大店の商人である遠野屋清之介と不思議な関わりを持ちつつ、事件の謎を解いていく時代ミステリーです。
あさのさんは本シリーズのほか、「おいち不思議がたり」シリーズ(PHP研究所)、「闇医者おゑん秘録帖」シリーズ(中央公論新社)で、2024年に第13回日本歴史時代作家協会賞シリーズ賞を受賞されました。
あらすじ
定町廻り同心の木暮信次郎と行動を共にする岡っ引・伊佐治は、長年にわたり本所深川を探り歩いてきました。ある日、森下町の小間物問屋「遠野屋」の主・遠野屋清之介と店の未来について語り合っていると、手下の力助が事件の報せを持ってきます。
深川元町の油屋「出羽屋」の離れで、放蕩息子の一郎太が短刀で喉を突き、自ら命を絶ったというのです。信次郎は、主の忠左衛門とその後添えであるお栄から話を聞きます。お栄は、数日前に一郎太から金の無心を受け、大金を渡してしまったことを悔やんでいました。
一方で信次郎は、店の者たちに対して執拗に事情を聴き続けます。彼がここまでこだわるということは、単なる自死ではないと考えているのかもしれません。
一郎太の馴染みの女「すずや」の夕波も、「若旦那が自ら命を絶つなんてありえない」と涙ながらに語ります。江戸という町に集う人々の感情は、渦巻き、絡まり合い、やがて事件の核心へと向かっていきます。商人としての未来に情熱を注ぐ清之介、岡っ引を天職と信じて働く伊佐治、そして人の心の奥底を見据える信次郎――。
男たちの熱く静かな想いが交錯する、「弥勒」シリーズ最新刊です。累計発行部数は120万部を突破しています。(『春立つ風』Amazonの紹介より抜粋、編集)
本書の読みどころ
「どういうことなんだ?」
岡っ引の伊佐治は、主で、定町廻り同心の木暮信次郎に対し、思い悩んでいました。信次郎が、一緒にいてはならない人物と会っていたのを目撃してしまったからです。
思い悩んだ末、伊佐治は八丁堀の信次郎の屋敷へ向かう途中、両国橋の近くで偶然遠野屋清之介と出会い、自身の営む小料理屋「梅屋」に招きます。清之介が語る遠野屋の未来についての話に、伊佐治の心は次第にほぐれていきました。
そんな折、殺人事件の報せが届きます。
深川元町の油屋「出羽屋」の跡取り息子・一郎太が、戸締りされた離れの密室で短刀によって命を絶っていたのです。
遊び人として知られていた一郎太でしたが、愛する女性の死を悼んだと思われる遺書も残されており、伊佐治は自死と判断します。しかし信次郎は、奉公人たちに対して粘り強く話を聞き続けます。事件のどこかに、彼の探偵心を刺激する何かがあったのでしょう。
事件の真相に迫るのは、俯瞰するように全体を見渡し、バラバラの断片を繋ぎ合わせていく信次郎の神業ともいえる推理です。
また、信次郎の示した手がかりをもとに、まるで猟犬のように奔走し、事実を集めていく伊佐治の姿にも注目です。
一方、次の世代への布石も考えて商いを進める清之介に、予想外の相手からある大きな取引が持ち掛けられました。
さらに信次郎は、柔和でやり手の商人という顔の裏に闇を抱える清之介に、ある仕掛けを施していました。
その本性を明らかにしたい信次郎と、正体を隠し通そうとする清之介との緊張感あふれる対峙は、読者に深い興奮と余韻を残します。
今回取り上げた本
書籍情報
春立つ風
あさのあつこ
光文社
2025年3月30日初版1刷発行
装幀:多田和博+岡田ひと實(フィールドワーク)
写真:Getty Images+ハラカズエ
目次
一 寒梅
二 雪間
三 春時雨
四 春雷
五 有明の星
六 春疾風
本文317ページ
初出誌:「小説宝石」2024年3月号~2025年1月号掲載作品を加筆修正
