松の露 宝暦郡上一揆異聞|諏訪宗篤|早川書房
諏訪宗篤(すわ・むねあつ)さんの書き下ろし歴史小説、『松の露 宝暦郡上一揆異聞』(早川書房)が新たに本棚に加わりました。
著者について
諏訪宗篤さんは、2017年に「商人伊賀を駆ける」で第9回朝日時代小説大賞を受賞し、翌2018年に『茶屋四郎次郎、伊賀を駆ける』と改題して単行本デビュー。2024年には、戦国武将・向井正綱を描いた『海賊忍者』で第15回野性時代新人賞を受賞した、新進気鋭の時代小説作家です。
物語のあらすじ
浪人・奥津慶四郎が訪れた郡上領。そこで目にしたのは、貧困にあえぐ村民たちと、容赦なく搾取を続ける領主の暴政でした。年貢の算定方法が変更され、領主だけが得をする不条理な仕組みが導入される中、村民たちは領主・金森頼錦(よりかね)こそが重税の元凶であると見極め、江戸への直訴を決意します。
村の代表である惣次郎は仲間とともに、慶四郎に同行を願い出ます。しかし、金森は浪人たちを雇い、村方衆が郡上を出るのを阻止しようと街道に罠を張っていました。慶四郎が村人たちを守るものの、過酷な道のりの中で倒れていく者が続出。さらに、政庁側に寝返る者まで現れます。
追い詰められた中、願いを届けるために惣次郎は命を懸けた最後の手段に打って出ます。慶四郎もまた、後戻りのできない道を進むことに──。
決して諦めることのなかった人々の世直しへの想いを描いた、清冽な歴史時代小説です。(『松の露 宝暦郡上一揆異聞』カバー折り返しの紹介文より抜粋・編集)
ここがポイント
野性時代新人賞を受賞した戦国エンターテインメント小説『海賊忍者』とは趣を変え、本作では江戸中期(宝暦年間)に美濃国・郡上藩で起こった百姓一揆「郡上一揆」を農民の視点から描いています。
飛騨高山から出羽上山、そして郡上への二度にわたる転封、さらに江戸屋敷の類焼と建て替えにより、金森家の負債は莫大なものとなっていました。当主・頼錦は、生糸や美濃紙、畳などの税を引き上げるだけでなく、農民には年貢とは別に口米や賦役を頻繁に課し、さらには臨時の御用金の徴収も命じました。村々には番小屋を建てさせ、通行税まで取り立てる徹底ぶりでした。
町方・村方の人々は、「家中財政が立て直されれば暮らし向きも楽になる」と信じ、歯を食いしばって耐えていました。しかし、さらに金森家は年貢算定方法を変更。従来の定額制から、稲の出来高を毎年検見して税率を決める「検見法」を導入すると告げたのです。
検見法は、一見すると不作時には税率を下げ、豊作時には税率を上げることで農民の負担を調整する仕組みですが、実際には政庁の裁量次第でした。全体が不作であっても、一部の条件の良い土地を豊作と定めてしまえば、村方は異議を申し立てることすらできません。
さらに、物語に描かれている前年の宝暦四年(1754)には大洪水による甚大な被害が発生し、米の収穫量も激減しました。
「郡上は広い田畑があるわけではなねえですじゃ。だども、昔はもっと楽に暮らせていたと聞いております。今の難儀は全て年貢やら御用金やらの取り立てが多すぎることが原因。盆暮れにしか休まず真面目に働く者が食うにさえ事欠くなんぞ、道理が通りますまい。まして目に入れても痛くねえほど慈しんで育てた娘を売ったり、寝ている妻子の喉を鎌で掻き切って自らも果てるなどあってはならぬこと」
(『松の露 宝暦郡上一揆異聞』P.53より)
物語の中で、一揆に加わった農民の語るこの言葉が、いつまでも耳に残りました。
将軍の信任が厚い奏者番を務め、老中・本多正珍を岳父に持つ金森頼錦の悪政に対し、郡上の農民たちが立ち上がり、声を上げて抗う姿が力強く描かれています。
災害の発生、物価の高騰、増税による生活の厳しさ──。この物語の背景は、現代の日本にも通じる部分があり、ただの歴史小説としてではなく、今を生きる私たちにも深く考えさせる一冊となっています。
今回取り上げた本
書籍情報
松の露 宝暦郡上一揆異聞
諏訪宗篤
早川書房
2025年2月25日発行
cover design:k2
cover illustration:岡村智晴
目次:
なし
本文265ページ
書き下ろし
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