『逆境 大正警察事件記録』|夜弦雅也|講談社文庫
夜弦雅也(やげん・まさや)さんの大正ミステリー、『逆境 大正警察事件記録』(講談社文庫)をご紹介します。
著者は、2021年に歴史時代小説『高望の大刀』で第13回日経小説大賞を受賞してデビューし、2022年には同作品で第5回細谷正充賞も受賞した新進気鋭の作家です。
受賞作『高望の大刀』は、桓武天皇の曾孫で平将門の祖父にあたる平高望(たいらの・たかもち)を主人公とし、平安時代前期を舞台にした壮大な冒険活劇です。
本書は、その待望の2作目で、舞台を大正時代に移しています。自白に依存した旧来の捜査手法から、指紋などの科学捜査が始まった時代を背景に、警察ミステリーが展開されます。
明治四十四年(一九一一年)、警視庁は世界でも早期に「指紋捜査」を採用した。「眼力でピストル強盗を逮捕した男」として有名な虎里武蔵(とらざと・むさし)刑事は、東京府西多摩郡で起きた六歳の少女殺害事件に臨場。有力な指紋の証拠に疑問を感じ、単独捜査に乗り出す。諦めない熱血刑事の事件簿。書下ろし長編警察ミステリー!
(『逆境 大正警察事件記録』カバー裏の紹介文より)
物語の舞台は、大正2年(1913年)。虎里武蔵は、東京府青梅で発生した少女殺害事件の現場に臨場します。殺されたのは6歳の梅本ハナ。現場に残された円匙(スコップ)から父・咲次郎の指紋が検出され、彼が容疑者として逮捕されますが、武蔵は納得できず、独自捜査を開始します。
本書では、科学捜査の発展途上にある大正期の警察の様子が詳細に描かれています。
大正初年当時の捜査は、江戸時代の「岡っ引き方式」を引きずっていて、班による集団捜査ではなく、単独行動で手柄競争が奨励されていこと。
また、当時の刑事は、足跡、毛髪、歯形、遺留品、目撃証言など、昔ながらの方法から犯人を特定する「見込み捜査」と、容疑者へ自白を強要し、江戸時代の岡っ引きのように博徒や犯罪者を「スパイ」に使って情報を探り出していたことなど。
刑事たちの個性豊かなキャラクターも魅力的で、彼らの葛藤や成長が物語を彩ります。
特に印象的なのは、精神病学者である八丈教授の存在です。彼は性的異常者の犯罪を研究する「変態犯罪学」の第一人者で、武蔵に重要な助言を与え、捜査に大きく関与していきます。
「私の意見を聞きたいと思った理由は何だね。つながりが見えて来ないが」 武蔵は身を乗り出す。
「ハナの首にあった指の痕です。親指だけでも八つ、犯人は四度に分けて占めたんです。このわけを考えました」
教授は武蔵の目をじっと見る。
「ふむ、躊躇ったためではないと思うんだね?」
「父親が犯人でないなら躊躇以外の理由がなければなりません」(『逆境 大正警察事件記録』P.100より)
この小説の魅力は、事件解決のスリルとともに、大正時代の警察制度や捜査方法をリアルに描写している点です。旧来の捜査手法と、新しく導入された科学的捜査との対比が鮮明で、当時の警察の姿が鮮やかに浮かび上がります。
読後には、主人公虎里武蔵の次なる事件をすぐにでも読みたくなること間違いなし。ぜひシリーズ化を期待したい、時代警察ミステリーの傑作です。
最後に、装画を担当された田地川じゅんさんのイラストが非常に魅力的でした。田地川さんは私のお気に入りのイラストレーターの一人で、特に芝村凉也さんの「素浪人半四郎百鬼夜行」シリーズの各巻の絵がどれも素晴らしかったです。
逆境 大正警察事件記録
夜弦雅也
講談社・講談社文庫
2024年9月13日第1刷発行
カバー装画:田地川じゅん
カバーデザイン:大岡喜直(next door design)
●目次
第一章 虎里武蔵
第二章 変態捜査
第三章 攻防
終章 研究熱心な男
本文322ページ
書き下ろし
■今回取り上げた本