『月草糖 花暦 居酒屋ぜんや』|坂井希久子|時代小説文庫
読みたい本が爆発的に増えて、積ん読状況が悪化していました。お気に入りの坂井希久子(さかいきくこ)さんの文庫書き下ろし時代小説、『月草糖 花暦 居酒屋ぜんや』(時代小説文庫)にもようやく手が出せました。
今、調べてみたら、前作『つばき餡』は、既読ですが、ブログで紹介していませんでした。(すみません、ペコリ)
本書は、現代小説でも活躍する著者の時代小説デビュー作で、2017年に、第6回歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞した出世作の『ほかほか蕗ご飯 居酒屋ぜんや』の後継シリーズ「花暦 居酒屋ぜんや」の第6作となります。
前シリーズ「居酒屋ぜんや」で主役をつとめた居酒屋ぜんやの女将お妙と旗本家の次男坊でぜんやに婿入りした只次郎が脇役に回り、二人の養女お花と薬種問屋に奉公する熊吉を中心に物語は展開していきます。
この構図は、平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」と「新・御宿かわせみ」に似ていることに、今さらながら気が付きました。(遅っ)
ぜんやに転がりこんできたお転婆姫――只次郎の姪のお栄は大奥に仕えていたのだが、将軍からお手つきとなるのを嫌い、暇を貰って只次郎の許へと逃げていた。家に戻ってもどこぞの武家に嫁がされるに決まっている、と町人となって己の才覚で生きていくことを望むが……。熊吉は熊吉で世話焼きの血が祟り、お花はそれにやきもき。ままならぬ江戸の世を、若者たちがもがきます。独活の穂先と人参のかき揚げ、桃の節句の手毬寿司、楊梅の金玉羹、露草で青く染めた砂糖。料理が気持ちを彩る、傑作時代小説第六弾!
(『月草糖 花暦 居酒屋ぜんや』カバー裏の紹介文より)
享和元年(1802)二月。
熊吉は、年明けより強壮剤の龍気補養丹の製造に携わるようになりました。その一方で、手代として得意先を回ったり、生薬の在庫に目を光らせたり、小僧を指導したりで、朝から夜遅くまで忙しく働いていました。
ある朝、日課になっているヒビキの墓に詣でると、同輩の留吉から「やっぱり、ここにいやがったか」と声をかけられました。
「うるせぇ。ほらこれ、辰巳の筋からの預かりもんだ」
そう言うと、懐から取り出した物を押しつけてくる。なにげなく受け取ってみると、菓子の包み紙を小さく折り畳んであった。
「辰巳?」
首を傾げつつ、紙を開く。なにかを包んいるわけでもなく、折り皺のついた紙の裏にただ一言。『あひたし』と、拙い仮名文字が躍っている。(『月草糖 花暦 居酒屋ぜんや』P.15より)
熊吉がひと月前の藪入りの日に、同輩らと行った深川の場末の岡場所の女、お万からの文でした。熊吉は深川界隈の得意先を回った後、お万の許を訪れました……。
本書では、金を払ってやることをやらない熊吉に惚れたお万と、女の涙に弱くてお万を放っておけない、世話焼きな熊吉の二人のおかしくて哀しい話が綴られていきます。
人一倍鼻が利くお花は、熊吉から白粉のにおいを嗅ぎ取り、乙女らしい潔癖さで熊吉を遠ざけたり、やきもきをしたり。
熊吉、お花、お万、それぞれの揺れ動く気持ちが描かれていて、胸がキュンとしました。
大奥に仕えていた只次郎の姪のお栄は、将軍からお手つきとなるのを嫌い、ぜんやに転がりこんできました。家に戻っても、家のために顔も知らない相手に嫁がされるに決まっていると、町人となって己の才覚で生きたいと望みます。
只次郎と同じように武家として生きることに、息苦しさを感じているお栄でしたが……。
ある出来事を通じて、揺れ動くお栄の決心も描かれています。
お栄とお花が二人きりで、神田鎌倉河岸の豊島屋の白酒を飲む場面も印象に残りました。初めての酒で、気持ちがほぐれてきて、話が弾み、日頃言えずにいることも口からこぼれ……。
本書も「飯テロ」小説で、独活の穂先と人参のかき揚げ、手毬寿司、筍の糠漬け、タラの芽とコゴミの天ぷら、入梅鰯など旬の素材をあしらったおいしそうな料理が登場し、胃袋を刺激します。
しかもお酒までほしくなります。
とはいえ、食事は生きていくうえでとても大事です。
登場人物の一人が言う「人間の基本は、食べること」という言葉の意味を、心に刻んで本を置きました。
月草糖 花暦 居酒屋ぜんや
坂井希久子
角川春樹事務所 時代小説文庫
2024年5月18日第一刷発行
装画:Minoru
装幀:藤田知子
●目次
おしろい
白酒
やまもも
つゆ草
豆腐飯
本文225ページ
「おしろい」「白酒」「やまもも」「つゆ草」は「ランティエ」2024年1月~4月号に掲載された作品に、加筆修正したもの。
「豆腐飯」は書き下ろし。
■今回取り上げた本